本郷の菊坂から台町にのぼる坂道。台町といっても、昭和40年までの町名で、今はここら辺は全て本郷という地名になっています。
この梨木坂、かなり細い坂道です。一部は車が通るのは大変なのでは?
梨木坂という名前の由来には諸説あるみたいで、坂の途中に文京区教育委員会の説明があります。
「梨の木坂は菊坂より丸山通りなり。むかし大木の梨ありし故坂の名とす。」と「御府内備考」にある。また、「南向茶話」には「戸田茂睡(江戸前期の歌学者、「紫の一本」の著者 1629〜1706)という人が、この坂のあたりに住んでおり、梨本と称した」とある。 いっぽう、江戸時代のおわり頃、この周辺は菊の栽培が盛んで、菊畑がひろがっていたが、この坂のあたりから菊畑がなくなるので「菊なし坂」といったという説もある。 戦前まで、この近くに古いたたずまいの学生下宿が数多くあった。 文京区教育委員会 |
坂をのぼりきると、古風な建物が見えてきます。鳳鳴館です。明治31年に下宿屋として始まり、今は旅館として営業しています。梨木坂の説明板にも書いてありましたが、このあたりは下宿がたくさんあったのです。東大が近いですから。
そのことについては、文京区の旧町名の説明にも書かれています。
旧台町(昭和40年までの町名)
寛永4年(1627)幕府中間方三組の屋敷地となり、元禄9年(1696)町屋が開かれた。
むかし、菊畑が多く、坂を菊坂といい、台地の上の方を菊坂台町と名づけた。
明治5年、町名の菊坂をとり台町とした。
明治以後は、町の大半が旅館、下宿屋で、明治末には30館を超えた。
文京区
今では一般的な住宅が多い地域なのですが、なるほど東大が近いということから、下宿が多くあったんですね。学生がたくさんいて、賑やかなところだったんですかね。そう考えると、今の東大生はどこに住んでいるんでしょうか。
梨木坂の地図、アクセス
東京都文京区本郷5丁目
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