本郷の菊坂は文豪の町と言われます。菊坂周辺にあったホテルや下宿屋に数々の文豪が逗留したり、下宿したりしていたからです。
そして、菊坂の南に地元の人から菊坂下道と呼ばれる通りがあります。実は、この菊坂下道には、明治期に樋口一葉、大正期には宮沢賢治が住んでいました。
菊坂もそうですが、ここ菊坂下道もかなりレトロな木造建築が残っています。昭和な佇まいをちらちらっと残しているのです。
この下道は、いつ頃までか分かりませんが小川が流れていました。東大を源流としていたようで、東大から本郷通りをまたいで流れてきていたようです。
小川の名前は東大下水。「とうだいげすい」ではなくて「ひがしおおげすい」と読みます。東大の下水ではありません。
今では、水の流れはありませんが、北側は今でも絶壁のようになっていて、苔生しているさまが川の流れがあったことを感じます。
菊坂へのぼる階段。斜面にはかなりの歴史を感じる木造建築。
この近くには明治時代創業の銭湯「菊水湯」がありました。2015年に閉業してしまっていますが・・・。この下道に暮らしていた宮沢賢治が父への手紙に「お湯にも度々参ります」と書いています。きっとその菊水湯にきていたのではないでしょうか。
そして、下道からとある路地を入っていくと、明治時代に樋口一葉が暮らしていた一画があります。
樋口一葉が暮らしていた頃からある井戸なんだろうと言われている井戸。
このあたりに、明治23年(1890)9月から明治26年(1893)7月まで暮らしていました。20歳前後の一葉は、父が亡くなったあと、ここで母と妹と厳しい生活を送りつつも作家を目指しはじめた時期でした。
お金に困った時は、菊坂にあった質屋、伊勢屋質店に駆け込んでいたそう。
路地の奥には、味のある階段、そして斜面に聳える木造建築。
こちらの斜面は、菊坂とは反対側になる鎧坂。この下道は菊坂と鎧坂に挟まれた小川の流れる谷間だったんですね。
下道に戻って。
菊坂へのぼる、かなり狭い階段。いつ頃からあるんでしょうか。
こちらも古そうな狭い階段。もう利用されていないのでしょうか、草が生い茂り、苔生しています。
この階段の下あたりに、大正10年(1921)の8ヶ月の間だけですが宮沢賢治が暮らしていました。
樋口一葉や宮沢賢治が暮らした、菊坂の下道。当時はどのような道だったのでしょうか。
今では一般的な住宅が多い地域なのですが、なるほど東大が近いということから、下宿が多くあったんですね。学生がたくさんいて、賑やかなところだったんですかね。そう考えると、今の東大生はどこに住んでいるんでしょうか。
菊坂下道/東大下水暗渠の地図、アクセス
東京都文京区本郷4丁目
菊坂下道/東大下水暗渠 情報交換
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