2019年10月12日土曜日

荏原神社|1300年の歴史を有する歴史ある神社

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鎮守橋

 目黒川のほとりにある神社です。目黒川の北岸にありますが、実は、以前は、目黒川の南岸にありました。切絵図の丸で囲んだ天王社が現在の荏原神社です。東にある天王社は、現在の品川神社です。
 江戸時代の目黒川は、蛇行していますが、水害を減らすために、現在では目黒川は真っ直ぐになっています。真っ直ぐにした際に、目黒川が荏原神社の南側を通るように流れを変えられたのです。



 江戸名所図会には、荏原神社は、貴船明神社として描かれています。手前を横切っている道が東海道です。東海道を分断して流れている川が目黒川です。この目黒川は、現在、この場所ではなく、この名所図会でいうと、貴船明神社の奥を流れていることになります。
 現在の参道は、マンションとコンクリー路に固められた目黒川に挟まれた素っ気もない参道ですが、名所図会では、参道には両側にお店のような建物が描かれており、賑わっていたのだろうと思われます。
鎮守橋

 荏原神社の歴史は非常に古く、飛鳥時代に遡ります。そのような昔からこの地にあるなんてすごいです。飛鳥時代の和銅2年(709)に、当時の首都・奈良の丹生川上神社から龍神を勧請し創建されたとのことです。
 平安時代の康平5年(1062)、陸奥国の豪族・安部氏征伐の際、源頼義・義家が荏原神社と府中の大國魂神社に参籠し、品川の海中で身を浄めたと伝わっています。それ以降、品川の龍神様として、源氏、上杉家、徳川家など、数々の東国の武将から厚い信仰を受けました。


 「荏原神社」という社号になったのは明治8年のことです。それまでは、先に掲載した切絵図にもあるように天王社と呼ばれたり、その他、品川貴船社、貴船明神社、木布禰大明神、品川大明神などと呼ばれていました。旧荏原郡の中で、由緒ある神社であるので、明治に入って荏原神社という社号になりました。

荏原神社の見どころ
 歴史のある神社だということは分かりましたが、正直、観光地としては地味な存在な感があります。確かに派手さはありませんが、歴史的見どころがそこそこあります。
 現在の社殿は、弘化元年(1844)に建てられたものですので、社殿だけでも歴史的価値のある社殿なのです。江戸末期から、ずっとこの姿なのです。


 江戸時代の木造建築、特に軒下の彫刻、派手さはありませんが、素晴らしいです。


 社殿に掲げられている「荏原神社」の扁額は、三条実美の筆だそうです。三条実美と言えば、幕末の公卿で、尊王攘夷、倒幕の中心的人物で、明治維新後は政治家となった人です。品川宿には、明治維新と関連する人物の痕跡がちらほらありますが、こんなところにもありました。


 この狛犬は、明治29年(1896)、石工の栗原巳之吉作です。細かい細工がとても美しい狛犬です。日本一美しい狛犬とも言われています。


 荏原神社は、東海七福神の恵比寿様なので、境内には大きな恵比寿像があります。

手水舎

舞殿
社務所
手水舎、舞殿、社務所、全て、木造建築です。社務所の前には、以前使われていたであろう鎮守橋の擬宝珠が置かれています。以前は鎮守橋は朱色ではなかったようです。


御祭神
 右座 豊受姫之命
 右座 天照皇大神
 中央 高龗神
 左座 須佐男之神
 左座 手力雄之神
    大鳥大神
    恵比寿神

ご利益
 勝運、学問、商売繁盛、交通安全、病気平癒、家内安全、恋愛

祭礼
 1月1日   歳旦祭
 2月3日   節分
 3月中旬   祈年祭
 4月30日  汐盛講(海上祓)
 5月5日   汐盛講(くらやみ祭り)
 5月下旬   天王祭
 6月30日  大祓
 9月9日   例大祭
 11月    大鳥祭
 11月15日 七五三
 11月下旬  新嘗祭
 12月31日 大祓

境内末社



 右側が熊野神社、中央が稲荷神社、左が八幡宮と立て看板に書いてあります。この末社には非常に多くの神様が祀られています。伊邪那岐命、伊邪那美命、稲荷大神、応神天皇、徳川家康公、白山姫命、大国主命、木花開那姫命、市杵嶋姫命と九神が祀られています。
 ただ、境内は、足下がボッコボコで、荒れたような感じがしますが、手入れはきちんとされています。ただただ、イチョウの大木の根っこが隆起しているため、石畳、常燈の台座をガタガタにしてしまい、果ては駒狐、左奥のお社も少し傾きかけているようです。


荏原神社の地図、アクセス

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