台東区池之端の裏通り、忍小通りにある日蓮宗の妙顕寺。コンクリート建築のがっしりた本堂です。妙顕寺には、江戸時代の浮世絵師・鳥居清信の墓があります。台東区教育委員会の説明には、次のように記載されています。
『鳥居清信墓
鳥居清信は、江戸時代中期の浮世絵師で、鳥居派の始祖である。
清信(俗称庄兵衛)は寛文4年(1664)浮世絵師鳥居清元の子として大阪に生まれた。貞享4年(1687)父に伴い江戸に移った、画技を父から学んだが、菱川師宣に私淑しその影響を大きく受けた。また狩野派や土佐派の画風もとり入れて独自の画風を築いた。父清元が江戸で歌舞伎の看板絵を描いていた関係で清信も役者絵を描き、ついに鳥居派の役者絵様式を完成した。以後鳥居派は江戸における歌舞伎絵の流派として定着し、代々、清信の子孫に世襲されていった。代表作に「立美人」「傘持美人」等がある。享保14年(1729)7月28日、66歳で没した。
清信は浅草法成寺(現豊島区駒込)に葬られたが、その後、墓所は妙顕寺に移された。墓石には清信夫妻および清信の父母の戒名が刻されている。』と記されています。
『鳥居清信墓
鳥居清信は、江戸時代中期の浮世絵師で、鳥居派の始祖である。
清信(俗称庄兵衛)は寛文4年(1664)浮世絵師鳥居清元の子として大阪に生まれた。貞享4年(1687)父に伴い江戸に移った、画技を父から学んだが、菱川師宣に私淑しその影響を大きく受けた。また狩野派や土佐派の画風もとり入れて独自の画風を築いた。父清元が江戸で歌舞伎の看板絵を描いていた関係で清信も役者絵を描き、ついに鳥居派の役者絵様式を完成した。以後鳥居派は江戸における歌舞伎絵の流派として定着し、代々、清信の子孫に世襲されていった。代表作に「立美人」「傘持美人」等がある。享保14年(1729)7月28日、66歳で没した。
清信は浅草法成寺(現豊島区駒込)に葬られたが、その後、墓所は妙顕寺に移された。墓石には清信夫妻および清信の父母の戒名が刻されている。』と記されています。
池之端のこの辺りも、お寺が多くあった場所であり、本郷湯島絵図に、妙顕寺は描かれています。
妙顕寺の地図、アクセス
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