2020年8月9日日曜日

宗恩寺|浅草寺町のお寺

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 江戸切絵図には、現在とほぼ同じであろう場所に記載があります。創建は、三河だそうで、創建時は、龍華山浄教寺と号していたそうです。元和年間に江戸本郷に移ってきて、その際、宗恩寺と改められたそうです。

 小ぶりな入母屋造の本堂ですが、よく見るとステンドグラス風のデザインがあしらわれており、控えめに和洋が折衷しております。

 狭いながらも木々が生い茂る緑豊かな境内です。何やら、キレイな花が咲いていますが、花に疎い私は、何の花だか全く分かりません。

 墓地には、明治時代に「仏教大辞典」を著した織田得能という人の墓があります。台東区教育委員会の説明板には次のように記されています。
「織田得能墓 
 織田得能は、明治時代の真宗大谷派の僧侶。わが国初の仏教の辞典『仏教大辞典』を著した人物として殊に有名である。
 万延元年(1860)、福井県坂井郡波寄村(現、福井市)の翫香寺住職である生田氏の三難として生まれる。郷里で教員をつとめたのち、真宗大谷派の高倉学寮で仏教学を修め、明治23年、島地黙雷と共にインド・中国・日本の仏教史を述解した『三国仏教略史』を編纂し、翌年、宗恩寺第二十四世住職となり、織田姓を名乗った。また、同33年には、岡倉天心とともに、インド・中国の仏跡を訪ねまわり、その見識を更に高めた。
 『仏教大辞典』の執筆は、明治32年から、得能が亡くなるまで、宗恩寺の土蔵の中でただ一人の力で続けられた。生存中には刊行されることはなかったが、大正6年、彼の原稿を元に、上田万年・芳賀矢一・南条文雄・高楠順次郎によって刊行され、後学に大きく貢献した。
 彼の遺骸は、当寺境内の歴代住職墓に合葬された。平成6年10月には、得能の筆『念仏成仏』の四文字を模刻した頌徳碑を建立した。」
 仏教界では有名な人なのでしょう。私は初めて知りました。



宗恩寺の地図、アクセス

 

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