長安寺の歴史
寛文9年(1669)開基とされています。
ですが、境内には、それよりも400年も前の鎌倉時代や室町時代に遡る年号が彫られた板碑という塔婆が残されています。長安寺開基以前に、この地に真言宗のお寺があったと伝えられています。長安寺開基以前には、この地には別のお寺があり、その当時の板碑が残されているということでしょうか。
本堂の前にぽつんと石碑があります。表面に「西国廿二番」、側面に「安永五丙甲年初冬」と刻まれているのは分かりますが、肝心の表面に大きく刻まれている文字は、素人の私には分かりませんでした・・・
長安寺は、西国三十三ヶ所霊場の写である、上野王子駒込三十三ヶ所霊場の22番目のお寺だそうです。この上野王子三十三ヶ所霊場が始められたのが安永年間だそうですから、この石碑は、その頃建てられてものであるのでしょう。歴史あるお寺ですね。
谷中七福神の壽老人
長安寺には、徳川家康が修めたと伝わる壽老人の尊像が祀られています。
東京の七福神めぐりで最も歴史のあるとされる谷中七福神の中の壽老人が、長安寺であります。壽老人が見れるのは、1月1日から1月10日谷中七福神参りの期間となっています。
狩野芳崖の墓
長安寺には、明治初期の日本画家、狩野芳崖の墓があります。
境内にある説明板によりますと、狩野芳崖は、文政11年(1828)に長門国長府(山口県下関市)出身だそうです。19歳で江戸に出ましたが、明治維新後、西洋画が入ってきたため、日本画家の狩野芳崖は、大変窮乏したそうです。ですが、その後、日本画の復興により、芳崖の評価が高ま離ました。
岡倉天心、橋本雅邦らとともに、東京芸術学校(現、東京芸術大学美術学部)の創設に尽力されましたが、開校間近に亡くなられたそうです。
長安寺の墓地に、奥様のヨシと共に墓があります。
江戸切り絵図と長安寺
江戸切り絵図には、長安寺があったであろう場所に長安寺が書かれておらず、浄安寺というお寺が書かれています。この江戸切り絵図(日暮里豊島辺絵図)は、安政3年(1856)に製作されたものですから、この当時には長安寺はあったのだと思われますが。謎です。
長安寺の地図、アクセス
東京都台東区谷中5−2−22
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