功徳林寺は、谷中界隈の寺院の中では、比較的新しい寺院であります。
明治維新後、広大な天王寺の寺領は明治7年に谷中霊園となり、墓地となりました。功徳林寺の場所も、もと天王寺の境内であり、天王寺の塔頭の福泉院があったとされています。福泉院は、上野戦争で消失してしまい、その跡地に、功徳林寺が明治26年に創建されました。
笠森稲荷堂と江戸三大美人のお仙
功徳林寺の境内には、笠森稲荷堂があります。笠森稲荷堂は、この地が福泉院であった江戸時代からありました。
江戸時代、この笠森稲荷の前に鍵屋という水茶屋があったそうですが、明和年間の初めの頃(1764頃?)に、お仙という看板娘がいたそうで、江戸三大美人の一人の笠森お仙と言われたそうです。
下の写真は、笠森稲荷堂までの、現在の参道です。この通りの入り口に鍵屋という水茶屋があったのでしょうか。
先にも書きましたが、上野戦争で、福泉院は消失してしまいました。そのため、笠森稲荷堂は、上野桜木の寛永寺養寿院に移されたようです。その後、福泉院の跡地にできた功徳林寺の境内に笠森稲荷堂が復活したようです。
東京都台東区谷中7−6−9
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