谷中霊園の西側の路地裏の寺院が連なる通りにあります。鉄筋コンクリートと木造建築の本堂のコントラストが全くもって違和感のあるお寺です。
お寺という歴史と情緒を置き去りにして、便益を追求した結果のなせる技だと思います。それだけ、都心でお寺を営むのは大変なことなのでしょう。とは言え、これでは、お寺という観光資源がもったいないと思いますよ。谷中というお寺が密集している地に、お寺という歴史的観光資源にもっと手厚い保護をして、もっと観光地としての価値を追求しても良いのでは!?
江戸切り絵図と、海蔵院の歴史
貞享元年(1684)に、元金杉から、現在の谷中の地に移ってきたようです。が、安政3年(1856)の江戸切り絵図には記載されていません。
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