創建年代は不詳ですが、境内からは14世期頃の板碑が数多く確認されています。境内は、とても緑が多く、整備されており、また、古い石造物が多くあります。
その昔は長福寺と号していました。
江戸時代には、将軍が岩渕筋で鷹狩りをした際には休息所として、また、五代将軍綱吉の生母、桂昌院の参拝記録が残っているなど、将軍家ともゆかりの深いお寺であったようです。
お寺の入り口の「六阿弥陀三番目 無量寺」の札所碑。無量寺の境内や、周囲には、いくつかこの六阿弥陀に関する石柱があります。江戸時代に置かれたものです。
お彼岸にお詣りする江戸六阿弥陀めぐりのお寺の一つでありましたから、江戸の昔より、人の多く訪れるお寺であったに違いありません。
入り口から、山門までの参道は、緑のトンネルに覆われた、とてもきれいな参道です。
山門までの参道に置かれた石仏。右側の石仏には、「右 六阿弥陀一番道 永岳妙久信女爲菩提 享保十七壬子五月八日寂」と刻まれているように見えます。享保17年ですから、江戸時代からあるのでしょう。
山門までの参道には、「ことぶき地蔵尊」があります。このお地蔵さんは、もともと無量寺に安置されていた子育て地蔵尊なのですが、昭和28年(1953)に、一旦、旧古川邸の東側の本郷通り沿いに移されました。その辺りで交通事故が多かったそうで、交通安全と西ヶ原坂下通り商店街(現、西ヶ原霜降り橋商店街)の繁栄を記念して移されたそうです。夏の地蔵盆や、毎月6の日は縁日として本郷通り沿いには露店が出て賑わったそうです。うーん、古き良き昭和ノスタルジーですね。
平成28年(2015)に、その役割を終え、無量寺に帰ってきたようです。
弘法大師と刻まれた札所碑。明治43年と刻まれています。無量寺は、御府内八十八箇所霊場の五十九番札所であります。御府内八十八箇所霊場とは、都内の弘法大師ゆかりの寺院で構成された八十八箇所霊場です。
四国の八十八箇所霊場を模して、宝暦5年(1755)に開創されたといわれています。お遍路さんのように、白装束で巡礼する方もいらっしゃるのでしょうか。あまり見かけませんね。江戸時代にはいたのでしょうか。
中門脇にも、「六阿弥陀○番目 無量寺」の札所碑。正徳年間の石碑のようです。○は三に関する漢字だと思うのですが、参でもないし、參でもないし、よく分かりません。
中門の先も、この緑!そんなに広いお寺ではありませんが、とても癒される境内です。11月ですので、少し紅葉も入っていてきれいでした。
本堂も緑に覆われ、癒されます。
本堂には、本尊の不動明王像と、江戸六阿弥陀の一つ阿弥陀如来像が安置されています。
本尊の不動明王像には、一つ言い伝えがあります。その昔、無量寺に盗賊が忍び込みましたが、盗賊は、不動明王像の前で動けなくなってしまい、捕まったとさ。という言い伝え。このことから、無量寺の不動明王像は、足止め不動尊として信仰されるようになりました。
本堂前には、狸の置き物。仏教に知見の少ない私は、何で狸が?何かユニークさを狙ってるの?と思いましたが、、、
無量寺は弘法大師空海によって開かれた真言宗のお寺。その弘法大師と狸は、関係が深いそうで、弘法大師空海が道に迷った時、道案内をして助けてくれたのが狸だそうです。なので狸の置き物があるのですね。
三界万霊供養塔。石仏が何だか山のようになっています。いつ頃作られたものなのでしょうか。
「西国三番 紀伊國こかわ寺」の石柱。今も和歌山県に粉河寺というお寺があります。粉河
寺は、西国三十三箇所霊場の三番目なので西国三番なのですが、何で、無量寺にその石柱があるのか分かりません。
調べた限りでは、西国三十三箇所霊場の江戸版である、江戸三十三箇所霊場には、無量寺は入っていません。江戸三十三箇所の三番目であれば、この石柱があるのもわかるような気もするのですが。
それか、江戸三十三箇所とは関係なく、江戸で西国三十三箇所巡りをするぞというコースがあったのでしょうか。調べてもよく分かりません。
墓地の横にレンガ壁に囲まれた墓?があるのですが、何と書いてあるか分かりませんでした。
江戸切絵図、江戸名所図会で見る、無量寺
江戸切絵図「染井王子豊島辺図」に、無量寺について長々と説明が付けられています。
「行基菩薩作 六阿弥陀 第三番 仏宝山 無量寺 真言宗
八幡太郎義家 賀茂次郎義綱 新羅三郎義光 三公の霊像を安シ 平塚三所明神と号ス」と書かれています。
平塚三所明神とは、私の浅はかな知識だと平塚神社のことだと思っておりましたが、何なのでしょうか。無量寺の左上に平塚神社が書いてありますが、そこに説明書きを入れるスペースがなかったからなのでしょうか。よく分かりません。
江戸切絵図もそうですが、江戸名所図会にも周囲は緑豊かな様が描かれています。
現在の境内は、先の写真のように緑豊かで、参道も境内も鬱蒼とした感じがありますが、江戸名所図会を見ると、境内はだだっ広く描かれています。今とは少し違っていたようですね。
また、右上に「七の社」が描かれていますが、現在、この辺りは旧古河庭園であります。七の社は、現在では、江戸切絵図でみる「一本杉神明宮」のある場所に移っております。
七の社の左上には、裏門があります。日光御成街道からの入り口でしょうか。
無量寺の北の路地と日光御成街道が接するところに、今でも、「六阿弥陀三番目 西箇原 無量寺」の札所碑があります。位置的にも、この辺りが裏門だったのでしょう。
無量寺の地図、アクセス
東京都北区西ヶ原1−34−8
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