2020年11月22日日曜日

王子神社|王子という地名の由来になった神社

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 人造河川と成り果ててしまった音無川の脇にある神社が王子神社です。

江戸名所図会、江戸切り絵図に見る王子神社


 江戸名所図会には、王子権現社として描かれています。鳥居をくぐるとすぐ脇に別当寺の金輪寺が描かれていますが、今は移転してこちらにはありません。鳥居の先には楼門、その先には舞堂が描かれていますが、今はそのようなものはありません。そして本堂の奥の方には石垣があり、大神宮、東照大権現と描かれています。
 今も、社殿の背後にこのような石垣があるのかよく分かりません。戦災を受けたようですので、戦前と今ではかなり変わっていると思われます。
 また、王子権現社の奥には、とうとうと流れる音無川が描かれています。今では、音無川は、地下でショートカットされ、ここには流れていません。


 江戸切絵図「染井王子豊島辺絵図」には、飛鳥山から王子権現神宮辺りには、「此道料理屋多シ」や、「茶屋」「茶屋多シ」など、飲食店が多かったことが分かります。飛鳥山や、音無川などがあり、江戸郊外の景勝地であり、人が集まっていたことが分かります。

王子神社の歴史


 王子神社は、鎌倉時代の元亨2年(1322)に、豊島郡を支配していた豊島氏が、紀州熊野三社権現から王子大神を勧請し、若一王子宮として祀られるようになったそうです。もともとこの辺りは、岸村と言ったそうですが、王子村と改められたそうで、王子という地名の由来なんですね。
 音無川も、もともとは石神井川ですが、この地域では音無川になっています。これも紀州の地名に由来しているという説があるそうです。

王子神社散策



 豪華、勇壮な御神輿がガラス張りで展示してあり、いつでも見ることができます。



 空襲で焼失してしまった社殿は、戦後に再建されたものです。



 緑の多い境内ですが、戦前はもっと緑に覆われていたのか、樹木の多くが焼失してしまったようです。
 音無川親水公園側からは、王子神社は高台になっていますが、そちらから登っていくと鬱蒼としています。 


 途中に大イチョウがありますが、樹齢は600年近くだと考えられているようです。戦前には、太田道灌が雨宿りしたという伝説のあるシイの大木があったようですが、戦災により失われてしまったようです。



 王子神社境内には、関神社があります。関神社とは、百人一首の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも逢坂の関」で有名な蝉丸公を祀る滋賀の「関蝉丸神社」を、江戸時代に奉斎したことが始まりとのことです。
 蝉丸公は、逆毛に悩む姉のために、かもじ、かつらを考案したため、「音曲諸芸道の神」としてだけでなく、「髪の祖神」として崇敬を集めています。
 毛髪業者が、毛髪報恩、供養のために毛塚という塔を建立しています。
 ちょっと珍しい神社ですね。

王子神社の地図、アクセス

東京都北区王子本町1−1−12

 

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