2021年1月24日日曜日

法輪山 法幢院 浄光寺|江戸の銅地蔵、石仏が多くある日暮里のお寺

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 谷中の諏訪台通りにある山門が立派なお寺です。諏方神社の参道手前にあり、江戸時代までは、諏方神社の別当寺でありました。創建年代は、不詳なのですが、諏方神社が創建された元久2年(1205)あたりの創建といわれています。


 山門の前には、「六地蔵三番目」の石碑があります。脇の案内板によると、山門を潜って左側に高さ1丈(約3m)の銅造地蔵菩薩立像があり、これは、元禄4年(1691)に空無上人が江戸東部六地蔵として開眼した地蔵の一つだそうです。


 その菩薩像の隣には、銅造地蔵菩薩坐像があります。こちらは、時代が下って、文化6年(1809)の作になります。



 また、境内には、銅造地蔵菩薩だけでなく、石仏が非常に多くあります。



 あまり細かく見れていないので分かりませんが、歴史ある石仏もあるのでしょう。


 見落としてしまったのですが、境内には、8代将軍の徳川吉宗が元文2年(1737)に鷹狩りに来た際、腰掛けた石が「将軍腰掛の石」として残っているそうです。
 このように、江戸時代からの歴史を感じることのできる境内ですが、立派な鉄筋コンクリートの本堂が残念です。


 諏訪台という高台にあるので、江戸時代は、眺望も良く、雪景色が素晴らしいことから、雪見寺といわれていたそうですが、巨大な本堂に、眺望は遮られてしまっています。

江戸名所図会や、江戸切絵図に見る浄光寺


 江戸名所図会に、右上に浄光寺が描かれています。本堂の裏手に境内が続いており、そこから、諏訪台下の眺望が開けていたのではないでしょうか。また、そのあたりに「御腰掛所」と書かれています。これが吉宗が鷹狩りの際に腰掛けた石のことでしょう。
 また、浄光寺前の今の諏訪台通りは、住宅街の生活道路のような味も変哲もない通りですが、この名所図会を見ると、大きな通りで、通り沿いには茶屋がたくさん描かれており、諏訪台通りから、手前にかけての坂には、草木が生い茂り、その間を往来する人々も描かれており、とても賑わっていた様子が分かります。


 また、江戸切絵図の「日暮里豊島辺り絵図」には、上の通り書かれています。東側には川が流れています。ですので、諏訪台のが下に広がる眺望の眼下には、川が流れていたことになりますので、より一層景観は素晴らしいものだったのではないでしょうか。
 今では、川は流れておらず、JRの線路になっておりますので、眺望がひらけていてもどんなもんなのかなとは思います。

浄光寺の地図、アクセス

 

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