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2026年1月31日土曜日

豊島通り|町屋の下町住宅街、古い商店建築や看板建築の残る通り

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 荒川区の町屋周辺には、住宅街の路地のような通りに古い商店建築が残っていたり、ポツンと飲食店がやっていたりと不思議な路地が多いです。て言うか町屋に限らず、東京の下町にはそんなところは多いですかね。


 町屋駅からいなり通り商店街を北に歩いていくと出てくるこの通り。住宅街にある細い通りのなのに、商店だったのかなと思われるような建物や飲食店がポツポツとあるのです。


 どうですか、商店長屋、向こうには看板建築が見えます。かつて商店街だったとしてもおかしくないですよね。ただ、いくら調べても商店街だったという記録は出てこないです。


 ここは、みちという居酒屋だったようですが、どうやらもう閉業してしまっているようです。新型コロナウイルス流行時に飲食店に貼られていたステッカーが貼ってあるので、2020年頃はやっていたんでしょうね。うーん、行ってみたかったな。一足遅かった・・・



 今度は定食屋さん、松栄。今日の散策は、ここで食べるのも目的。とりあえず、散策を済ませるとします。


 商店だったのかなと思われる建物や、看板建築がゴロゴロありますね。




 なかなか立派な間口をもつ商店建築発見。ネットで調べていると稲沢商店というお店だったという情報がありました。



 荒川区のはなしというサイトの情報によりますと、昭和34年(1959)創業の中華料理店、春華亭。なかなかシンプルで品のある佇まいです。


 脇道を入ると、こちらにも古い商店建築がたくさん残っていました。


 このお店は、八百屋さん。おそらく日曜日だったので閉まっていたのだと思われます。



 餃子の専門店と、その奥には鮮魚店もあります。こちらも日曜日なので閉まっているのかなと。


 この脇道もなかなか商店が揃っています。


 そして、先ほどの本線に戻ります。
 へしゃげそうな建物ですが、入り口のひさしの残骸が商店だったんだろうなということを物語っていますね。


 お地蔵さんがあるのですが、ここでこの通りの正体が分かりました。


 豊島通り。
 どうやら、この通りは豊島通りという名前のようです。ただ、この豊島通りでいくらネット検索しても何も分かりませんでした。古くからある道のようではありますが。
 もしかしたら、古くからあるこの通りに、過去には商店街があったのかもしれません。私が知り得る情報、古い街灯、商店街マップに残されている、ストリートビューなどなど、そんな痕跡も無くなってしまうくらいの過去に。


 この先は、旭電化通りという通りに突き当たります。旭電化通りは旭電化通り商光会という商店会組織が組まれていて、豊島通りの北の方のお店はその旭電化通り商光会の組織に入っているようです。


 散策が終了して、もう一つのお目当て、大衆料理松栄さんへ。


 下町の住宅街のお昼時。お店に入ると、下町のマダムたちが昼飲みを楽しんでいました。世田谷マダムはランチにフレンチやイタリアンなのかもしれませんが、町屋マダムは、大衆食堂でランチなのです。ランチというか、昼飲みです。


 大衆食堂とはいえ、実は一品料理が充実していて、一品料理というかこれは完全におつまみなのです。


 住宅街のど真ん中に、こんな食堂があるなんて驚きです。


 住宅街とはいえども、それこそここら辺も昔は町工場がたくさんあったのでしょうから、町工場のおっちゃん達が、ご飯食べたり、仕事終わりに寄って飲んでいたようなお店だったのかもしれませんね。


 どのような成り立ちなのかは分かりませんが、この住宅街で、この居酒屋然とした食堂がそのまま続けられているというのが奇跡に感じます。



島通りの地図、アクセス

東京都荒川区町屋3丁目、4丁目

島通り 情報交換

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2026年1月18日日曜日

江戸道商店会|町屋の古道にあった商店街

 ホーム東京の商店街>江戸道商店会


 都電荒川線の町屋二丁目停留所から南下して、藍染川通りまで行く細い路地は、かつて町屋銀座商隆会と江戸道商店会という二つの商店会が連なる通りでした。今ではもう商店組織は無くなっているのだと思われますが、かなりの賑わいのある商店街だったようです。
 今回、ご紹介するのはその南側にあった江戸道商店会です。なぜ江戸道?そんな大そうな名前が付くような道があったのだろうかと調べてみると、町屋銀座の通りはかつて江戸道と呼ばれ、北にある慈眼寺なども通っていたようです。今の町屋といえば、やはり町屋駅がある方面が栄えていますが、その昔は、この江戸道あたりが栄えていたようです。だから、昔栄えていたDNAを引きつぎ、ここに商店街ができ、賑わっていたということなのでしょうか。


 ただ、さすがにその賑わいは平成、令和までは続かず、今では閑静な住宅街になっています。2009年頃のストリートビューを見ると江戸道商店会の看板を掲げた街灯が連なっていたようですが、今はもうありません。
 ここが江戸道であるんだぞという意識づけとして「江戸道 安全通り」という看板が掲げられています。


 こんな細い路地にしては、なかなか巨大な商店長屋。


 ビールケースのようなものがあるので、以前は飲食店が入っていたのですかね。このビールケースたちは、ストリートビューを見る限り、10年くらい同じように積まれているようです。
 これだけの建物があったということは、それなりにこの辺りは賑わっていたのでしょうね。


 すごい!提灯屋さんがあります。さすが下町。


戸道商店会地図、アクセス

東京都荒川区荒川5丁目、6丁目

戸道商店会 情報交換

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2026年1月12日月曜日

町屋銀座商隆会|戦後は映画館もあり賑やかだった下町商店街(跡?)

 ホーム東京の商店街>町屋銀座商隆会



 都電荒川線の町屋二丁目停車場。都電荒川線の線路を挟んであらかわサンロード商店会と、ちんちん通り商店会という下町風情な商店街があります。そして、町屋二丁目の踏切から南西に入っていく細い路地。今ではただの住宅街の路地なのですが、この路地も実は平成の頃までは商店街だったのです。途中で江戸道商店会と商店街の組織名が変わりますが、町屋二丁目の停車場から藍染川通りまでの、今では住宅街の路地にしか見えない通りが、かつては賑やかな商店街だったのです。
 Googleのストリートビューで遡れる最古の2009年のストリートビューを見ると、まだまだ八百屋さんやおもちゃ屋さん、時計店などなど、たくさんのお店が立ち並び、商隆会の看板が掲げられた街灯も立ち並んでいたようです。
 そのような看板も街灯も無くなっているので、町屋銀座商隆会という商店組織は消滅したのでしょうか。荒川区商店街連合会の一覧にも町屋銀座商隆会は掲載されていません。



 本筋から外れて脇道に入ってみると、こちらもとても風情のある町並みです。脇道まで商店が立ち並んでいたのでしょう。



 本筋に戻って。
 手前の餃子は一龍の建物には、かつてドンちゃんという居酒屋があったと思われます。その左右は駐車場になっていますが、右隣には時計屋さんとおもちゃ屋さん、左隣にはタバコ屋さんがあったことがストリートビューで分かります。そして、おもちゃ屋さんがあったその向こうには八百屋さんがありました。
 いずれも、古い看板建築で、2009年までは風情のある商店街だったようです。


 この2棟の看板建築は2009年当時も営業していなかったようです。


 町屋銀座商隆会をネットで調べていたら、今昔写語というサイトを見つけました。そこには、昭和50年(1975)に、おそらく上の写真の場所辺りから撮ったであろう写真が載っていました。
 その写真と見比べてみると、上の写真の右の2棟の看板建築は町の電気屋さんだったのかなと思われます。あと、古い写真には右上に「銀座商隆会」の文字が見えます。当時は商店街の入り口に大きなアーチ看板が掲げられていたのでしょう。
 昭和50年代というと、それこそもう大型ショッピングセンターなどのためにさびれる商店街も増え始めていた頃だろうと思いますが、今昔写語に載っている写真を見る限り、人がたくさん歩いていて、この当時はまだ賑やかだったようです。


 上の写真の茶色い看板建築の右隣には、2022年頃まで豆腐屋さんがありました。そして、その隣には銅板建築の鍼灸院がありました。もう少し早く訪れていれば良かったな。どんどん町の景色は変わっていきますね。


 その旧豆腐屋さんの前は二股の分かれ道になっています。この通りにも古い看板建築が残っていますので、この通りも商店街の延長のような通りだったのでしょう。


 靴屋さんの看板が残っています。



 大熊商店さん。あらかわ産業NETというサイトに掲載があります。設立が1949年ということですから戦後すぐということになります。もともと問屋さんのようで、あちこちにあった駄菓子屋さんに菓子飲料などを卸していたのでしょう。大熊商店自身も駄菓子屋さんも営んでいます。


 本線に戻ります。


 銅板建築のような建物を発見しました。ただ、銅板というと年数が経つと緑青色に変化するイメージがありますが、白っぽく変化しています。なんでだろう。





 住宅街にポツンと中華料理とか不動産の看板があるのですが、2009年のストリートビューでは、花屋さんや履物屋さんなどの看板も並んでいて、まだまだ活気のある商店街だった様子が残されています。


 この辺りには、漢方薬局や洋品店なんかがあったようです。



 だいぶ奥まで歩きましたが、まだまだ看板建築の遺構が残っています。この並びの2棟の看板建築は、2009年のストリートビューでも商店では無くなっていたようです。
 ただ、この向かいには、靴屋さんとか小料理屋、お好み焼き屋がありました。



 左にある建物は、荒川六丁目ひろば館という公共施設ですが、消えた映画館の記憶というサイトによると、昭和29年から昭和42年頃まで映画館があった場所のようです。そんなに広い土地ではないのですが。今あるような巨大なシネコンではなくて、昔の下町の映画館はこのくらいの規模だったのですかね。
 本当にここに映画館があったのだとすると、なおさら、この町屋銀座商隆会は賑やかだったのだろうということが分かりますね。
 ただ、この映画館、晩年はストリップ劇場だったとする記事もありましたが、こんなところにストリップ劇場なんかあったのでしょうか。



 上の写真の赤緑の庇のある建物は、2009年の時点では青果店と精肉店でした。生活に根ざした商店街だっということが分かりますね。


 上の写真の看板建築には、酔ってけやという居酒屋と美容室が入っていました。


 こんな住宅街の奥地で奇跡の飲食ビル発見です。右手前は空き地になっていますが、過去には古いそば屋さんがあったようです。



 ここまでが、町屋銀座商隆会になります。
 2009年のストリートビューですと、SONYホームストアと書かれたシャッター商店や、喫茶店も見られます。
 この先は江戸道商店会という商店街になっていたようです。そちらもおそらく解消しているのかな。
 江戸道というのは、この通りの名前のようですが、かなり古くからある道のようです。町屋というと町屋駅周辺が今では賑わっていますが、かつてはこの江戸道沿いが賑わっていたらしいです。


屋銀座商隆会の地図、アクセス

東京都荒川区荒川6丁目

屋銀座商隆会 情報交換

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