元和元年(1644)に創建されたお寺なのですが、創建は下谷でされましたので、もともとは、現在の上野にありました。
江戸名所図会の「山下」の図には、啓運寺として描かれています。色を付けたつもりですが、なぜかモノクロになってしまったのですが、中央左はじの矢印の部分が、啓運寺です。前の大通りは、今でいう昭和通りでしょうか。周囲には、お店が描かれており、当時の上野山下の賑わいぶりが分かります。
江戸の大繁華街だった上野は、幕末の官軍と幕府軍の戦争「上野戦争」の舞台となり、啓運寺は、その際、焼失してしまいました。
その後、明治18年(1885)、上野から、現在の地に移転しました。
境内に入るとまず、毘沙門堂があります。境内の案内板によると、この毘沙門堂には、木造の毘沙門天蔵が安置されており、この毘沙門天像は、寛政9年(1797)に彫られたものだそうです。上野戦争で焼失を免れて残ったのでしょう。
説明板によると、写真を撮り忘れたのですが、延宝8年(1680)の庚申塔があるそうです。
また、境内の一角には、石碑群があります。この中に、根津勢吉という人の墓があります。写真の左端です。あまり聞かない人ですが、幕末に咸臨丸で、福沢諭吉と渡米した人のようです。その後、戊辰戦争では、榎本武揚について幕府側で戦ったそうですが、明治維新後には、海軍大尉になった人だそうです。谷中にお墓があるくらいですから、この辺りの人なのでしょうか。名字が根津ということは、台東区の根津と関係があるのでしょうか。分かりません。
啓運寺の地図、アクセス
東京都荒川区西日暮里3−2−14
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