2021年1月24日日曜日

諏方神社|鎌倉時代からある日暮里の神社

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 谷中といいますか、ここは谷中とか谷根千のエリアになるのかどうか分かりませんが、日暮里と西日暮里を繋ぐ諏訪台通りにある神社です。
 鎌倉時代の元久2年(1205)、この辺りの領主であった豊島左衛門尉経泰が、信州諏訪明神を勧請し、創建されてといわれています。 もともとは、今の高台の下に本殿があったそうです。
 室町時代に入り、豊島氏は衰退し、太田道灌が諏訪台通りの先の道灌山に城を築き、諏方神社に神領を寄進したといわれています。
 江戸時代に入り、寛永12年(1635)に、麓から、現在の高台に移されました。

諏方神社の境内など



 神輿蔵。


 神楽殿。


 立派な瓦屋根の手水舎。水鉢には、天保二年の文字が見えますので、その当時からある手水舎なのでしょうか。


 屋根の下の装飾も素晴らしいです。鉢の片面には、岩が積み上げられて山のようになっています。何かを模しているのでしょうか。


 諏方神社の東側には、地蔵坂という坂があります。なぜ、地蔵坂なのかというと、江戸時代、諏方神社の別当寺であった浄光寺に、江戸六地蔵の三番目の地蔵があったからだそうです。


 この坂道は、諏方神社というか、諏訪台通りが断崖絶壁の上に成り立っているのがよく分かります。



 拝殿は、境内の中で、こんもりと盛り上がった石垣の上にあります。何だか要塞のようです。




 狛犬は、猛々しく、また、少々西洋風な感じもします。昭和43年(1968)作だそうです。



 社殿は、戦災で焼失してしまい、昭和27年に再建されています。


境内摂社、末社

・末廣稲荷神社、銭降稲荷神社



 銭降稲荷とは、すごい社名ですね。江戸時代に、お稲荷さんブームがあったようで、末廣とか、銭降など、縁起が良いと人気だった社名のようです。


・三宝荒神社


 日本の神仏習合を背景に独自に発展した三宝荒神の祠。

・三峰神社


 秩父の三峰神社の分社です。秩父まで行けなくても、参拝したことになります。

江戸名所図会、江戸切絵図に見る諏方神社


 江戸切絵図には、諏訪台通りの様子が描かれています。真ん中のやや左上に今の拝殿と同じようにこんもりした拝殿が描かれています。境内の周囲には、茶屋がたくさん描かれていて、風光明美で、眺めの良い諏訪台通り(当時は諏訪の台と呼ばれていたそうです)に多くの人々が集まっていたことを窺わせます。


 江戸切絵図「日暮里豊島辺絵図」には、大八大明神と記載されているところが、諏方神社だと思われます。なぜ、大八大明神なのか、本当に、この場所が諏方神社なのか分かりませんが、場所的に、ここなのかなと思われます。

諏方神社の地図、アクセス

 

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