江戸時代の寛永寺の東西には、36の子院があり、林光院もその一つで、寛永寺の西側にありました。寛永初期に、鶯谷駅上の台地に林広院という草庵が開かれました。ですので、開創当初は、寛永寺の北側にあったことになります。
三代将軍、徳川家光公の霊廟、大猷院殿建立の地となったため、現在の地に移転したそうです。
寛永寺を含む、多くの寛永寺子院などが破壊、焼失の被害にあった明治維新の上野戦争以降、林光院は、上野桜木町あたりを転々とし、昭和25年(1950)に、現在の地に落ち着きました。
門前には、大きな石灯籠があります。灯籠には、「東叡山 大猷院殿 尊前 慶安四年十二月二十日」と刻まれています。
徳川家光の一周忌に、諸国大名から大猷院殿に寄進された石灯籠です。戦後の寛永寺再建の際の寄付の返礼として贈られたようで、林光院にある石灯籠もその一つなのです。林光院が、大猷院殿建立の地にあって移転したこととは関係ないようです。
林光院の表門は、もと徳島藩の中屋敷御庭仕切門を移築したもので、歴史ある建造物です。昭和30年に移築されたものです。
林光院の地図、アクセス
東京都台東区上野公園15−9
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