2021年2月23日火曜日

東照宮(上野東照宮)|上野の金色に輝く御宮

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全国にたくさん東照宮がありますが、上野の東照宮の由緒は?

 全国各地に東照宮があります。やはり一番有名なのは日光東照宮でしょうし、徳川家康が亡くなった静岡には久能山東照宮があります。東照宮いろいろあるので、ます整理してみます。
 元和2年(1616)、駿府城で徳川家康が亡くなりました。家康の遺言が記録されている「本光国師日記」によると、家康は「遺体は久能山に納め、葬儀は増上寺で行い、位牌を三河大樹寺に立て、一周忌を過ぎて、日光山に小堂を建て勧請しなさい。八州の鎮守になる。」と言ったそうです。
 そこで、遺言の通り、ます棺は静岡の久能山に運ばれ、元和2年(1617)に、東照社が創建されました。これが、東照宮の始まりです。
 元和3年(1617)、東照社は、朝廷から「東照大権現」の神号が与えられます。そして、家康の遺言通り、日光にも東照大権現が祀られることになりました。これが、(日光)東照宮です。ここまでが、家康の遺言通りに進められたことです。
 当の(上野)東照宮ですが、こちらは、「本光国師日記」に記録されている遺言とはまた別で、家康が危篤の際に、慈眼大師天海僧正と藤堂高虎に「三人一つ処に魂が鎮る場所を作って欲しい」と語ったことが実現されたものです。まず、寛永2年(1625)に、上野の山に寛永寺が創建され、そして、寛永4年(1627)に、東照社が創建されました。
 正保2年(1645)、東照社に、宮号の宣下がおり、それ以来、東照宮と称するようになりました。
 簡単に表すと、このような流れになります。
 また、これら三大東照宮の他に、徳川家や松平家にゆかりのある地など、各地に東照宮が建てられています。

東照宮の見どころ

 上に載せた写真に写っている鳥居ですが、これは、寛永10年(1633)に建立されたものです。関東大震災にもびくともしなかったほど、頑丈に造られていたのです。


 参道には、夥しい数の石灯籠がありますが、これは、慶安4年(1651)、社殿を造り替えた際に、全国の大名から寄進された石灯籠になります。200基以上の石灯籠が並んでいる様は、圧巻です。
 時代により違いはあるのかもしれませんが、大名の数は200数十といわれていますから、ほとんどの大名が寄進したのでしょう。


 石灯籠の並ぶ参道からは、(旧)寛永寺の五重塔が見え、素晴らしい景観です。


 境内にある神楽殿は、明治7年(1874)に建てられたものです。



 参道を進んで、唐門に近づくと、今度は、夥しい数の巨大な銅燈籠が並んでいます。これも、諸大名から奉納されたもので、唐門の両側にあるものは、徳川御三家からの奉納の銅燈籠だそうです。


 狛犬は、大正3年(1914)に奉納されたものです。筋骨隆々のたくましい狛犬です。


 金色に輝く唐門、その奥には金色の社殿があります。
 三代将軍・徳川家光公の時代、慶安4年(1651)に造り替えられたものになります。日光までお参りに行けない江戸の人々のために、日光東照宮のような豪華な社殿を建立したのです。唐門には、昇り龍、降り龍の彫刻がありますが、これは、江戸初期の伝説的な彫刻家、左甚五郎作といわれています。毎夜、不忍池に水を飲みに来るという伝説があるほどの作品であります。


 境内ではないですが、大鳥居の脇に「東照宮第一売店」。この昭和レトロな佇まいがたまりません。店内には、テーブル、小さな座敷もあり、食事もできますし、ビールや日本酒も飲むことができます。


古地図に見る東照宮


 文政3年(1820)刊行の「江戸城内并芝上野山内其他御成絵図」の「上野総絵図」には、現在の場所に「御宮」と記載されています。これが、東照宮です。東照宮の北東には、「塔」と記載されており、現在も残る寛永寺の五重塔です。

東照宮の地図、アクセス

東京都台東区上野公園9−88
 

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