平和通りの現在
前項「平和通り(東向島)①|戦前の色街、玉の井の繁華街跡」で述べましたように、この平和通りが、戦前は「賑本通り」と呼ばれ、玉の井でとても賑やかな繁華街だったようです。しかしながら、現在は、賑やかどころか、お店自体もポツポツしかありません。
平和通りなんて、商店街の名前のような通り名がついていますが、平和通りと記した看板も案内も何もありません。ネットで調べても何も出てきません。もしかしたら、以前、平和通り商店街なんてあったのかもしれませんが、消滅してしまったのでしょうか。
西側から平和通りに入ると、清華と言う中華料理店があります。お昼からお酒もいけます。ちょっとした中華なつまみもあります。
正面の構え的に、何かの商店だっかのような建物。正面以外は、トタンで覆われていルのが、下町風情を盛り立ててくれます。しかも、正面には、各種政党のポスターが貼られています。
ナトリと言うパン屋さん。この昭和レトロな建物に、このいかにも昭和から営業しているであろう店内。下町散策を盛り上げてくれる雰囲気を兼ね備えているのは、この平和通りでは、後にも先にも、このナトリしかありません。
看板建築は、ちらほら残っています。
下の「薬泉堂」なのか「茶泉堂」なのか読めないのですが、「岡埜」と言うお店の看板建築。さすがにシャッター商店のようです。戦後、このような商店がいくつか建ち並んでいたのでしょうか。
とても哀愁そそる建物で残っていって欲しいですが、そのうち取り壊されてしまうのでしょうか。この建物で何か商売をするといっても、休日でも、人通りがまばらですので、やはり商売にならないのでしょうか。うーん勿体ない・・・誰か活用しましょうよ。知恵を下さい。
永井荷風の「濹東綺譚」には、当時の賑本通りの様子がいろいろ書かれています。
「九州亭といふネオンサインを高く輝かしてゐる支那飯屋のまで来ると、改正道路を走る自動車の灯りが見え蓄音機の音が聞こえる。
・・・九州亭の四ツ角から右手に曲ると、この道は右側にはラビラントの一部と二部、左側には三分の一區割が伏在してゐる最も繁華な最も狭い道で、呉服屋もあり、婦人用の洋服屋もあり、少食屋もある。」
呉服屋も、洋服屋も、洋食屋もありませんが、近頃オープンしたらしい居酒屋があります。本当に、戦前の賑いとはほど遠く寂れて閉まっているようです。
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