きっちり仕分けをしたがる性格の私にとって、日本の寺社仏閣の神仏習合的なごちゃ混ぜは、非常に頭を悩ませます。そして、ここは、身代り不動尊、豊川稲荷尊天、玉の井稲荷、東清禅寺と、ごちゃごちゃと色々混ぜこぜになっているようです。
ただ、神社や、お寺に境内社などがある場合は、大抵、別に小さなお社や、祠などがありますが、ここはお堂が一つしかありません。そのお堂のビルの階段を登ったところに、狛狐があります。どうやら、お寺とお稲荷さんが合体しているようです。仕分け不能ですね。
東清寺は、寛保元年(1741)に、山梨で創建されたお寺です。大正4年(1915)に、現在の地に写ってきました。
この年、白鬚橋から四つ木に到る大正道路の建設が始まりましたが、この東清寺で、鍬入式が行われました。境内には、大正道路の記念碑があります。
大正道路もそうですし、玉の井稲荷も永井荷風の「濹東綺譚」に登場します。
「辻の向側には曹洞宗東清寺と刻した石碑と、玉の井稲荷の鳥居と公衆電話とが立つてゐる。わたくしはお雪の話からこの稲荷の縁日は月の二日と二十日の両日である事や、縁日の晩は外ばかり賑で、路地の中は却て客足が少ないことから、窓の女たちは貧乏稲荷と呼んでゐる事などを思出し、人込みに交つて、また一度も参詣したことのない祠の方へ行つて見た。」
「人ごみの中を歩いて向側の路地の突當たりにある稲荷に参詣した。ここにも夜店がつづき、祠の横手の稲荷の稍廣い空き地は、植木屋が一面に並べた薔薇や百合夏菊などの鉢物に時ならぬ花壇を作つてゐる。東清寺建立の資金寄附者の姓名が空地の一隅に板塀の如くかけ並べてあるのをみると、この寺は焼けたのではなければ、玉の井稲荷と同じく他所から移されたものかもしれない。」
濹東綺譚からすると、玉の井稲荷の縁日の日は、夜店が出て非常に賑わっていたようです。今は、縁日はやっていないと思われ、かつての賑わいはないと思われます。
東清寺の地図、アクセス
東京都墨田区墨田3−10−2
白鬚橋です。髭ではないと思います。
返信削除ご指摘ありがとうございますm(._.)m。訂正致しました。
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