2021年4月29日木曜日

佐竹商店街|日本で二番目に古い商店街、レトロが止まらない

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 日本で二番目に古い商店街だそうです。一番古い商店街は、浅草仲見世通りらしいです。近代化以降の日本の繁華街といえば、浅草、上野ですから、この佐竹商店街も、戦前はとても賑やかな商店街であったようです。


 大変賑わった佐竹商店街も、太平洋戦争の空襲で、半分近くは焼失してしまったそうです。ですが、戦後すぐに復興し、商店街で野球チームが、3、4チームできるくらい店員さんがたくさんいる活気のある商店街となったようです。
 昭和44年(1969)には、アーケードがかけられたようです。アーケードの下にある店舗は、戦後に建てられたような建物ばかりです。


 江戸風鈴の篠原風鈴。大正4年(1915)創業の江戸風鈴のお店です。創業100年超えです。


 下町の商店街らしく、このごちゃごちゃ感がたまりません。



 アーケードがかかっていると気が付きにくいですが、少し上を見上げると、商店の建物の古さに気が付きます。戦後、もしくは、焼けなかった場所は、戦前からある建物もあるのでしょうか。いわゆる看板建築の看板があったであろう部分が、アーケードで覆われているような感じです。


 1階の商店とアーケードの間を見ていると、看板建築の看板部であったり、古い商店建築のレトロな意匠が垣間見えて、レトロズキにはたまりません。



 店先にガチャポンが大量に。


 グリーンライト グリーンフォームの特約店だそうです。が、なんですかそれは・・・?


 モスリンって・・・何?木綿や羊毛の織物のことのようです。店名に歴史を感じます。



 昭和51年(1976)創業のBessy Ross。こんな下町の寂れかけた商店街に、アメリカシティーボーイスタイルの老舗ショップがあります。昭和50年代から、アメカジを、ここ下町から発信しているのです。

竹商店街のグルメ

 歴史ある佐竹商店街ですから、グルメも新旧、いろいろなお店があり、かなり楽しめます!


 「中華料理 一番」。平成元年(1989)創業の中華店。私の世代では、平成元年というと、もう物心もつきまくっていましたし、平成と言うとそんなに歴史を感じないのですが、実に30年以上の歴史がありますので、これはもう老舗でしょう。看板が昭和を感じる純然たる町中華風であるのが好感持てます。コロナ禍であったため、閉まっていたのが残念でした。


 「とりそば若松」。そばと書いてありますし、外観もそば屋な感じですが、ラーメン屋さんです。ですが、ラーメンだけでなく、和食などのメニューもあり、お酒も飲めます。令和2年(2020)に浅草から移転してきました。


 こちらも、令和2年(2020)オープンの「DowntownKitchin」。佐竹商店街では超新しい洋食店でありますし、外観もオシャレ。こんなオシャレな外観ですが、下町商店街のお店らしく、肩肘張らない洋食メニューのお店です。


 昭和40年代的なレトロ感を放つ「中屋洋菓子店」。実は、昭和40年代どころか、創業は、大正7年(1918)創業の超老舗です。かすてらの店と書いてある通り、創業当初から、自家製カステラ専門店として営業しているそうです。大正時代から、ここでカステラを売っていたなんて、時代の重みを感じます。隣には、喫茶室があり、これも入り口の扉、ガラスに貼られたシールなどは、昭和40年代を彷彿とさせる逸品です。


 こちらも超老舗の「加賀屋」。佐竹商店街のホームページには、創業90年と書かれています。いつの時点での創業90年なのかよく分かりませんが。それにしても昭和初期、もしくは大正期から続くお店ということになります。凄い!そのサイトには、一枚一枚手焼きと書いてあり、店内の座敷でせんべいを焼いている写真が載っています。店内の座敷でせんべいを焼いているなんて、下町の極みです。



 この「佐藤精肉店」。こちらも外観のレトロ感がたまりません!上を見上げると「特売所」と書かれています。特売所って表現がレトロ感というか、貧しさというか。終戦後の看板でしょうか。そして、側面には、「掛川総合食品」と書かれています。昔は、掛川総合食品という食品店だったのでしょうか。この佐藤精肉店は、映画「踊る大捜査線 THE FINAL」のロケで使用されています。それだけ絵になる佇まいということなのでしょう。
 佐藤精肉店では、その名の通り、お肉を売っているのですが、コロッケや、カツなどの惣菜も売っています。買い食いしながらの下町商店街散歩ができます。



 そして、私が、佐竹商店街で、極め付けだと感じたのが、この「ファミリースナック ロッキー」。目に飛び込んでくる原色!緑、黄色、赤、オレンジ・・・看板のレトロポップな文字!昭和レトロな食品サンプル!もう、この外観は、芸術の域に達しています。
 昭和53年(1976)創業だそうです。このレトロポップな外観は一見の価値があると思います。



 「白根屋」。甘味、軽食と書いてあるので喫茶店かと思いきや、ガッツリ定食のあるお店のようです。こちらもコロナ禍であったため、開いておりませんでした。残念。60年代頃からあるお店だと思われ、外観のレトロさ加減もいい感じです。このお店も、ロケに使われたお店で、オロナミンCのCMに使われております。


 ここも歴史を感じる「ゼイタク煎餅」。どストレートなようで、真意のよく分からないネーミングです。店名通り、ゼイタク煎餅や、人形焼を売っているお店です。


 商店街の南端にある「ベースキャンプ」。なぜ、店名がベースキャンプなのか分かりませんが、注文してから、コーヒー豆を焙煎するこだわりのお店です。なぜ、ベースキャンプなのでしょうか。

竹商店街の歴史

 佐竹商店街のある地が、もともと、江戸時代には、秋田の久保田藩主、佐竹氏の上屋敷があった場所であります。


 かなり豪華な屋敷だったようですが、明治5年(1972)に火災で焼失してしまい、その後、民家が立ち並び、その中に、商店が立ち並ぶようになり、とても賑わうようになったようです。この当時は、娯楽地としてとても賑わったようで、寄席、見世物小屋、露天などのお店が立ち並んだようです。

竹商店街の地図、アクセス

東京都台東区台東3丁目、4丁目
 

2021年4月25日日曜日

鐘ヶ淵通り商店街平和会(酎ハイ街道)|下町の崩壊しそうな昭和レトロ商店街とレトロ飲み屋街

 ホーム東京の商店街>鐘ヶ淵通り商店街平和会(酎ハイ街道)
ホーム飲み屋街鐘ヶ淵通り商店街平和会(酎ハイ街道)



 東武スカイツリーラインの鐘ヶ淵駅の西口から南東の道沿いには、昭和レトロな商店、看板建築が並んでいます。そこが、鐘ヶ淵通り商店街。商店街として発足したのは、戦後の昭和23年ということですので、古い商店街です。




 鐘ヶ淵駅側には、商店街を横切る東武鉄道。下町ならではの光景です。都心ではみられないですよね。


 鐘ヶ淵は、ある一定の世代まではピンとくると思いますが、明治時代に紡績会社として発足した鐘ヶ淵紡績という巨大紡績企業があった町なのです。戦前の紡績というと、日本の基幹産業でしたし、その中でも鐘ヶ淵紡績は一流企業でありました。戦後、バブル期には、カネボウとして化粧品メーカーとして名を馳せましたが、平成の前期に消滅してしまいました。


和レトロな商店街の痕跡



 古い商店街ですから、看板建築や、古い商店建築が並んでいて、昭和レトロ散策が楽しめます。


 古い商店街には必ずあるお茶屋さん。今もし、新しい商店街を作るとなると、このようなお茶屋さんが入るのでしょうか。コーヒーショップは入るでしょうが。お茶と海苔で、これだけの門構えの商店ですから、お茶屋さんは儲かったんですかね。文化の変革を感じずにはいられません。



 看板建築でも、看板がなかったりしている建物があります。もう営業していないどころか、新しいお店も入っていないのでしょうか。私の散策日が、どうしても休日になりますので、お店が定休日ということもあるとは思いますが。


 澤畠油店。油店とは、油だけ専門に扱っているお店でしょうか。今では、油なんて、スーパーの一角に置いてありますが、その当時は油だけでお店が成り立っていたのですかね。これも、商文化の変革を思い知らされます。しかも、タイルなんかが設えてあって羽振りの良さそうな看板建築です。


 西側は、たまにポッカリ歯抜けのように空き地があります。どうやら、道路を拡幅して景観をぶち壊そうと(安全、便利にしようと)しているようです。


 カラフルに彩られた看板建築は、レトロでオシャレです。明らかに廃業しているような建物がありますが、





 町のパン屋さん。


 いやぁ〜渋いですね。この感じをなんとか残して欲しいものですが。
 都内の各地域には、よく昭和レトロ建築をリノベーションした商店がおしゃれに営業していたりしますが、鐘ヶ淵通りにはありません・・・そのような見込み客はいないということなのでしょうか。それだけ完璧な下町ということなのでしょうか。





 ピンクの壁面に、赤いドア。素晴らしい配色ですが、何屋さんだったのでしょう。


南東側に行くほど、西側の道路が拡幅されているのが分かります。また、高層マンションが建てられていて、下町の景観をぶち壊しにしているのがよく分かります。


ハイ街道

 鐘ヶ淵駅から、京成線の八広駅までの間は、酎ハイ街道と呼ばれています。実は、この辺りが酎ハイの発祥の地らしいのです。先にも述べましたが、ここは、鐘ヶ淵紡績の城下町でありましたし、路地を歩くと、下町工場跡のような建物が多々あります。そのような工場の労働者たちが、仕事帰りにこの辺りで飲み歩いていたのでしょうか。


 鐘ヶ淵通りの路地裏の「牛太郎」というもつ焼き屋さん。昭和30年代からあるようです。



 酎ハイ街道でも名店とされる「亀屋」。創業は昭和7年と言いますから、凄まじいほどの歴史を持っています。昭和初期のこの辺りはどのような町だったのでしょうか。鐘ヶ淵紡績の城下町として、労働者たちが飲みに来ていたのでしょうか。



 鐘ヶ淵通りから路地を少し入ったところにある「三河屋」。こちらも昭和初期創業の老舗。外観は、きれいに改装しているようですが、店内は、多分、昔から使用しているテーブルなどを使っているようで、とても味のある渋い店内です。



ヶ淵通り商店街平和会の地図、アクセス

東京都墨田区墨田3丁目〜東向島5丁目