東京拘置所の南、東に荒川、西には綾瀬川、そして南には東京都下水局や広大な公園がある。この小菅1丁目地区は四方をいろんなものに挟まれていて、陸の孤島のようになっているのだ。
この狭い商圏だけのために西小菅商盛会があったのだろうか。いや、この隔絶されたところだからこそ、この狭い地域に商店街が必要だったのだろうか。
とはいえ、都内のこのような地元密着の商店街は、どこも衰退の一途だが、ここも衰退の一途のようだ。
そういうことなので、商店街の活気はすっかり失せているのだが、商店の抜け殻のような古い商店建築は多く残っていて、往時の賑わいをしのばせる。
散策していると、なんと立派な煙突が!!
商店街の通りから外れて路地を入ると、立派な銭湯があるではないか!
遅筆で申し訳ないのですが、今この記事を書いているのが2024年9月。小菅を散策したのが、実は3年以上前の2021年4月。
この時には、この草津湯はかろうじて営業していたようだが、2024年の6月で閉業となってしまったらしい・・・残念なことだ・・・
そしてなんと、草津湯の斜向かいに年季の入った商店のような建物が。
この建物は、2020年まで駄菓子屋として営業していたらしい。店主だったおばあちゃんが、おそらく戦後からやっていたんだと思われる。そのおばあちゃんが亡くなって、閉業となったらしい。
21世紀少年の映画のロケでも使われたそうで、実に味のある駄菓子屋さんだったようだ。Googleマップのストリートビューで、2020年より前に日付を合わせれば、お店をやっていた時の姿が見れる。本当に下町の駄菓子屋さん。
銭湯の近くに駄菓子屋さん。ちょっと前まで、戦後の東京の下町の風景が残ってたんですね。
商店街の通りに戻る。場所柄か、再開発の波に飲まれることなく、風情のある建物が多く残っている。立派な蔵のようなものも。
10年以上前のブログなどを流し読みしていると、その当時は、まだ、雑貨店、畳屋、電気屋、金物屋、大衆食堂、洋品店なんかがあったようなことが窺えるが、この10年で、大きく変わったようだ。
この磯川商事というのは、まだやっているのだろうか。木材部と米穀部とがあるようだが、木材部の建物でこの間口ということは、大きな材木を取り扱ってたんだろう。この商店街は商店だけでなく、商社というか問屋さんみたいなお店もあったということなのかな。
そして、米穀部の方の建物の存在感がハンパない。なんかオシャレだ。
手打ラーメン亜都。ネットでは何も情報が出て来ないので閉業しているようだ。左上に「登喜和寿司」という寿司屋の案内看板があるが、このお店も閉業しているようだ。
西小菅商盛会では、飲み食いは、もうできないようである。
飲食店は壊滅しているようだが、魚屋さんがある。
ここの魚屋さん、実は店先で食べさせてくれるのだ。
魚屋さんの店先で新鮮な魚が食べれる。そしてビールも売っている。なんだか最高な下町なのです。
銭湯や、駄菓子屋さんがなくなっても、この魚屋さんは、なくならないでいてほしいものだ。
西小菅商盛会の地図、アクセス
東京都葛飾区小菅1丁目
西小菅商盛会 情報交換
西小菅商盛会について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿
こちらからコメント、情報をお願いします。