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2025年5月24日土曜日

渋江商店街振興組合|かつてネジ工場の街だった四つ木の商店街

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 京成押上線の八広駅と立石駅に挟まれた四ツ木駅。八広の鐘ヶ淵駅まで至る通りは、酎ハイ街道と呼ばれ、昔ながらの下町の酎ハイを出してくれる酒場が多くある。そして、立石も言わずもがな呑んべいの聖地。
 そんな駅に挟まれた四ツ木は、もちろん下町の呑んべいの集まる地域なのでは?
 四ツ木ももちろん、町工場が多くあった町だ。特にボルトやナットなどのネジを製造する工場が多くあったのだ。ということは、下町の古き良き酒場が多くあるに違いない。そんな望みを抱きながら四ツ木に向かった。
 四ツ木駅の南側に出てみると、何とも雰囲気のいい蛇行した細道に、「渋江商店街」の看板が掲げられている。


 いきなり養老乃瀧。なんだか今となっては老舗の居酒屋チェーンとして、貫禄を感じるな。


 しかし、商店街といえども、どうやら住宅化が進行しているようだ。お店があんまりない。


 それにしてもインド料理店の出店パワーはおそるべしだな。どこに行ってもある。


 渋江商店街で、私が一番気に入った一角。


 地元の黒帯飲兵衛御用達といった風情の酒場!
 隣の看板建築と並んでいいレトロ感を醸している。
 下町の地元密着な居酒屋は、このくらいであった。夕方かららしいので今度行ってみたいものだ。


 昔は、こんな感じの商店が並んでたんだろうな。いろんなサイトを見ていると、ほんの数年前までは、八百屋さんがあったり、もう少し賑わいがあったようだ。この数年で大きく変わってしまったようだな。


 もう少し歩くと、ポツポツと看板建築が出てくるが、休日だからかもしれないが、シャッターはあまり開いていない。



 この辺、住所は東四つ木なのに、この渋江商店街の渋江というのは何なのか?というと、もともと、この辺は本田渋江町という地名だったようで、昭和40年までは本田渋江町という地名だったのだ。
 そして古くから、ここら辺は渋江と呼ばれていて、室町時代の資料にも渋江という地名で載っているようだ。地名の江から分かるように、東京湾の海水が入り込んで入江のようになっていたんだそうだ。そう葛飾区の葛飾区史に書いてあった。



 このクリーニング店は、すごい。まだやっているのか分からないが、店構え、看板など、かなり古そうだ。チラッと店内をのぞいたら、クリーニングの機械らしきものが見えるので、工場に洗濯物を出すのではなく、自前でクリーニングしていのかもしれない。
 すごい!




 なかなか大きなモダンな建物を発見。一階に店舗が入っている。ただ、手前に明月堂というパン屋があるが、残念ながら閉業しているようで、そのほか2店は飲食店。
 一つは、「翼」。翼といえば、キャプテン翼の作者が四つ木出身なので、四ツ木駅は、キャプ翼まみれになっている。このお店も、キャプ翼にあやかった店名なんだな。




 なかなか貫禄ある看板建築が残っている。






 東側の商店街入り口。立派な街灯看板もむなしく、このあたりには商店がない・・・。


江商店街振興組合地図、アクセス

東京都葛飾区東四つ木3丁目、4丁目

江商店街振興組合 情報交換

渋江商店街振興組合について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

2025年2月24日月曜日

お花茶屋駅前商店会|踏切が風情ある下町商店街

 ホーム東京の商店街>お花茶屋駅前商店会


 京成線お花茶屋駅の南側にあるのが、お花茶屋駅前商店会。北口にある商店街のお花茶屋親交会と踏切で接続している。
 都内の路線は昨今高架化が進んでいて、同じ葛飾区の京成立石駅にも踏切があり、立石駅通り商店街は踏切で分断されていた。その踏切と商店街のコントラストが下町の何とも言えない風情を醸していたのだが、立石駅前も高架化が決定。踏切もいずれ無くなってしまうのだろうし、駅前にあった風情ある横丁呑んべ横丁は早速取り壊されてしまった。
 そういう下町のレトロ風情を懐かしんだとしても、そこに暮らす方たちは、便利のに越したことはないんだろうな。だけど、この町中にある踏切のある景観はいいですね。



 南口の駅前には、こんな細道がある。これは、またレトロな横丁好きにはたまらない。
 看板には、カウンタースナックちえアジアン料理まんぷくという飲食店と理髪店、クリーニング店が掲げられている。今は飲食店は2店飲みのようだけど、おそらくここには昭和32年創業の東邦酒場という酒場もあったようだ。建物の老朽化により立石に移転してしまっている。


 そんなことを考えると、もしかしたら、昔は飲み屋横丁だったのかもしれない。古い写真をネットで見ていると、低層の古い建物が立ち並んでいたようだ。今では、マンションのような建物が多いのだけれど。




 大通りに出てみる。なかなか昭和レトロな風情のある建物が残っている。


 町の牛乳屋さんの建物だ。もう廃業してしまっているのだろうか。昭和の中頃まで、牛乳は配達されてたんだよな。





 南側に歩いてみる。お寿司屋さんがあるくらい。その先に、飲食店などが入っている建物があるが、お花茶屋駅前商店会のサイトによると、この辺りはもう商店会には入ってなさそうだ。




花茶屋駅前商店会の地図、アクセス

東京都葛飾区宝町2丁目

花茶屋駅前商店会 情報交換

お花茶屋駅前商店会について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

お花茶屋親交会|お花茶屋駅北口線沿いの商店街

 ホーム東京の商店街>お花茶屋親交会


 京成線お花茶屋駅の北口を出るとプロムナードお花茶屋のアーチがドーンとあるが、線路沿いにはお花茶屋親交会の看板が掲げられている。どうやら、北口の線路沿いの東側はお花茶屋親交会という商店街組織になっているようだ。


 ただ不思議なのは、プロムナードお花茶屋のサイトの商店街地図を見るとこの通りにあるマクドナルドやオリジン弁当が掲載されている。親交会に属するお店とプロムナードに属するお店が入り乱れているのだろうか。


 お花茶屋駅北口にある商店街では、プロムナードお花茶屋は、サイトもあり歴史も分かるが、その他の商店街はサイトもなく、歴史もよく分からない。


花茶屋親交会の地図、アクセス

東京都葛飾区お花茶屋1丁目

花茶屋親交会 情報交換

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2025年2月22日土曜日

お花茶屋親和会|

 ホーム東京の商店街>お花茶屋親和会


 京成線のお花茶屋駅の北口を出て、プロムナードお花茶屋と、お花茶屋商栄会を超えると次はお花茶屋親和会。


 お花茶屋商栄会に続き、ここも商店は少ない。ただ、古そうな看板建築がちらほら残っている。



花茶屋親和会の地図、アクセス

東京都葛飾区お花茶屋2丁目

花茶屋親和会 情報交換

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お花茶屋商栄会|駅北口から続く商店街

 ホーム東京の商店街>お花茶屋商栄会


 京成線のお花茶屋駅北口から北に伸びるプロムナードお花茶屋。大きな商店街ではないけれど、まだまだお店も多く活気の残る商店街。そのプロムナードお花茶屋は、北に歩くとそのままお花茶屋商栄会につながる。


 プロムナードお花茶屋とはうってかわって、お花茶屋商栄会は落ち着いたもんだ。



 インスタに創業50余年と書かれている福寿園。いつから50余年かは分からないが、建物的にもかなり老舗のようだ。お花茶屋商栄会の情報はネットにあまりないのだが、こんなお店があるくらいだから、商店街も古いんだろうな。


花茶屋商栄会の地図、アクセス

東京都葛飾区お花茶屋2丁目

花茶屋商栄会 情報交換

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プロムナードお花茶屋(お花茶屋商店街振興組合)|京成沿線ほのぼの商店街

 ホーム東京の商店街>プロムナードお花茶屋(お花茶屋商店街振興組合)


 葛飾区のローカルな駅、京成線のお花茶屋駅。お花茶屋駅ができたのは昭和6年(1931)のこと。駅ができた頃は、この辺りは田園地帯だった。


 国土地理院で公開されている昭和11年(1936)のお花茶屋周辺の空中写真を見ると確かに田園地帯が広がっている。


 戦後はどうかというと、昭和32年(1957)の様子がこれ。だいぶ建物が増えているが、この頃でもまだ畑があったんですね。


 プロムナードお花茶屋のサイトに掲載されている歴史によると、昭和23年(1947)頃から商店が少しずつ営業を始めたのだそう。それまでは、田園地帯だったんで駅があっても商店なんかほとんどなかったのかな。
 お店が20店くらいになった昭和25年(1950)に商店組織が形成され、昭和60年(1985)には120店にまで増加したんだそうだ。その昭和60年に今のお花茶屋商店街振興組合が発足。
 多くの商店街が昭和30年代頃から衰退していったのに、プロムナードお花茶屋は逆張りをいったわけだ。




 古い看板建築も残っているが、ところどころ閉業しているような建物も見える。



 チェーン店もあるが、地元の個人店が今もなお現役で頑張っている。


 お花茶屋周辺はメッキ工場が多かったと聞いたし、そもそも町工場もたくさんあったんだろうけど、そしたら労働者向けの酒場があってもよさそうだが、ここいらにはあんまりない。そういう酒場は堀切菖蒲園とか青砥になるのかな。







 プロムナードお花茶屋からは少しそれた通りに、昭和の風景が残っている。
 上の看板建築の看板には「保証+牛乳」と書いてある。その保証牛乳のお花茶屋販売所だったらしい。
 保証牛乳という名前は、何だか美味しそうな感じのしないネーミングだけど、歴史は古く昭和初期からあったらしい。戦前の都内には牛乳メーカーが数十社あり、その中でも保証牛乳は上位5社に入っていたようだ。戦後は、保証牛乳が乱立したようで、東京近郊では東京保証牛乳、西多摩保証牛乳、横浜の保証牛乳、相模原保証牛乳、千葉保証牛乳などなど。
 このお花茶屋販売所が、どの保証牛乳に属していたのかは分からないが、昭和30から40年代には閉鎖や買収されたりしている。その中で、千葉保証牛乳だけは保証乳業に改称ののち、平成6年まで存続していたらしい。
 さて、このお花茶屋販売所が、どの保証牛乳に属して、いつまで営業していたのだろうか。


 昭和の香りぷんぷんの中華料理みとや。昔は、こういう町中華が、市民の食を満たしてくれていたのだ。

ロムナードお花茶屋の地図、アクセス

東京都葛飾区お花茶屋1丁目

ロムナードお花茶屋 情報交換

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