2021年7月24日土曜日

南命山 善光寺|青山通りの路地裏にあるお寺

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 青山通りというか、246といいますか、この通りは、青山、渋谷、三軒茶屋、二子玉川を通り、何だかおしゃれで洗練された通りという感じがします。このオシャレな青山通りの中でも一番オシャレな表参道あたりの西側に、この善光寺があります。

光寺の歴史


 江戸切絵図の「東都青山絵図」に、大きく描かれています。真ん中に縦に描かれている道が、大山街道、今の青山通りです。善光寺の東側には、青山善光寺門前町と書かれています。そこは、灰色に塗られていますから、町人が住んでいたのでしょうが、そのほかの部分は、白抜きになっており、この辺りは、武家屋敷の街だったことが分かります。


 一方で、上の切り絵図は、「小石川・谷中・本郷絵図」ですが、こちらに「善光寺前町」という町屋があることが記されています。実は、善光寺、戦国時代の永禄元年(1558)に谷中で創建されたのです。
 この谷中の善光寺は、元禄16年(1703)、火災により焼失してしまいました。そして、宝永2年(1705)、現在の地の青山に再建されました。
 このため、現在でも、谷中には、善光寺坂という名前が残っています。

光寺の境内



 善光寺は、信州、長野にある善光寺の別院になります。信州の善光寺にも仁王門がありますが、この青山の善光寺も立派な仁王門があります。青山通りから数歩、路地に踏み入れただけで、静寂の別世界が広がります。


 仁王門は、戦災で焼失したため、昭和39年に再建されたものです。正面には仁王像、裏には風神、雷神像があります。



 鐘楼も、昭和34年に再建されました。茶、青、赤、金、など原色が鮮やかな鐘楼です。銅鐘は、享保6年(1721)に作られたものです。


 本堂も、やはり空襲で焼失したため、こちらは、昭和44年に再建されました。


 墓石を集めたような、こういうの何というのかわかりませんが、無縁になったお墓を寄せ集めているのですかね。


 上の石碑は、延宝2年(1674)と刻まれています。ということは、青山に移ってくる前、谷中にあった頃のものだということが分かります。



 青山でショッピングもいいですが、少し、歴史に触れてみてはいかがでしょうか。


命山 善光寺地図、アクセス


東京都港区北青山3−5−17

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