2021年8月8日日曜日

五十間通り|吉原遊郭の痕跡①土手通りから、お歯黒どぶまで

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 風俗街で名高い吉原。もともと日本橋にあった吉原遊廓(元吉原)が、幕府の命令で明暦3年(1657)に現在の地に移転してきました。移転から考えると、300年以上、ここは、風俗街であるのです。


 三ノ輪から浅草まで至る土手通りに、吉原大門の信号があります。今では、吉原のソープランド街には、どこからでも入れますが、江戸時代の吉原遊廓は、お歯黒どぶと言われた大溝で囲まれておりました。吉原遊廓に入るためには、土手通り側から入るしかありませんでしたので、ここが唯一の入り口だったのです。この吉原大門の信号から、吉原大門に至る通りが五十間通りと呼ばれている通りです。


返り柳



 吉原大門の信号の傍に、剪定後だったのか、なんだか勢いのない柳があります。これが、見返り柳。
 見返り柳の下にある説明板によりますと、京都の島原遊郭の門口にあった柳を模したものだそうです。遊び帰りの客が後ろ髪をひかれる思いで、振り返ることから見返り柳と呼ばれました。この説明板によると、この見返り柳は、かつて山谷堀脇の土手にあったと書いてありますので、土手通りを挟んだ向かい側にあったのでしょうか。



十間通りの過去と、現在

 この吉原大門の信号あたり、見返り柳のあたりは、浮世絵にも多く描かれています。上は、歌川広重が描いた「新吉原衣紋坂日本堤」。
 上の水路が山谷堀で、その手前の通りが日本堤(現在の土手通り)ということになり、手前の通りが、現在の五十間通り、吉原遊廓に続く通りであります。ここには、見返り柳は、山谷堀側ではなく、五十間通り側に描かれています。
 五十間通りの名前の由来には、諸説あるようです。日本堤から、吉原大門に至る道のりが五十間あるので、五十間道と呼ばれたとか、この通りには、50軒の引手茶屋があったから五十間通りと呼ばれたとか。歌川広重の「新吉原衣紋坂日本堤」を見ると、確かに、五十間道には、酒肴と看板が出ていますが、引手茶屋でしょうか。
 また、この浮世絵の題名、「新吉原衣紋坂日本堤」となっていますが、この道は、衣紋坂とも呼ばれていました。日本堤は、音無川や、山谷堀の河川氾濫防止を目的とした堤ですから、周囲より高くなっていますので、日本堤の手前は自ずと坂道になったのです。この坂道で、遊客が衣服をつくろったことからそう呼ばれました。


 江戸時代の五十間道は、吉原遊廓に至るまでの道のりもたいそう賑わっていたことが、歌川広重の「新吉原衣紋坂日本堤」からうかがえますが、対して、現在の五十間通りは、このように閑散としています。お店もあまりありませんし、人通りもあまり無く、侘しい通りであります。
 そして、この五十間通りは、S字に曲がっています。これは、江戸時代、日本堤を通る大名行列から、吉原の様子が見えないようにこのような曲がり道にしたのです。


戸切絵図で見る五十間通り


 今戸箕輪浅草絵図を見ますと、日本堤から屈曲して、吉原に繋がっていることが分かります。また、吉原に入るには、五十間通りから入るしか入口がありません。その他、四方は溝、お歯黒どぶで囲まれています。また、今では考えられませんが、周囲は田畑で囲まれています。

歯黒どぶの痕跡

 吉原を囲っていた「お歯黒どぶ」。現在は、吉原はそのような溝に囲まれてはいません。


 薄ら寂しい五十間通りにある「理容 白百合」。もう営業していないようでもありましたが、この昭和レトロな看板建築の向かい側の路地を入っていくと、お歯黒どぶの痕跡があるようなので入ってみました。


 路地に入ってすぐのマンションの奥に、石段と石垣があります。この石垣が、お歯黒どぶの石垣の痕跡なのだそうです。



 お歯黒どぶは、関東大震災頃まではあったようですが、その後に無くなっていったようです。この通りも、味わいのある通りで、昭和レトロなアパートのような建物や、看板建築が残っていま。


 残されてた看板建築に、カストリ書房という本屋さんが入っています。このカストリ書房は、色街や、遊廓など風俗関係の書籍や、闇市など裏文化などに特化した書籍を扱う本屋さんです。吉原ならではの本屋さんだなと感心しますが、吉原に文化を求めて人が集まっているのかは些か疑問です。欲を求める人の集まる場所だと自分思います。


 反対の路地を見通すと、巨大寺院が!と思いきや、ソープランドでした。この路地、少し傾斜があるのがわかると思います。お歯黒どぶ側から撮っていますので、少し上り坂になっているのです。


 その先には、公園があります。この公園も、路地から高台になっています。ドブがあったんだなと分かりやすい地形であります。


 無邪気に公園で遊ぶ子供たちの向こうには、ソープランドが。大人がいれば、子供がいる。何も不思議なことはありません。が、何か不思議を感じてしまいます。


 さらに進むと、また吉原方面に上がる階段があります。吉原の構造を感じれる路地であります。


 このお歯黒どぶの路地から、さらに路地に入ると、飲食店であったと思われる遺構があります。吉原近辺の飲食店であったのか、それとも、赤線の痕跡なのか。



十間通りの地図、アクセス

東京都台東区千束4丁目
・東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」から、徒歩11分
・東京メトロ日比谷線「入谷駅」から、徒歩17分

原遊廓の痕跡シリーズ

①五十間通り
仲之町通り吉原遊廓の中心街の過去と現在
江戸町通りカフェー建築の残るソープ街
(旧)伏見通り吉原遊廓の痕跡④路地裏の戦後カフェー街の亡骸
揚屋町通り路地裏に赤線跡の残るソープ街
京町通りソープ街としても寂れてしまった通り
花園通り南側のお歯黒どぶ(羅生門河岸)の暗渠

十間通り 情報交換

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