2021年11月27日土曜日

霊亀山 慶養寺|江戸男色(BoysLove)物語の聖地

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 慶養寺 は、寛永2年(1625)に浅草蔵前で創建され、いつしか、こちらに移ってきたと御府内寺社備考に書かれていますが、一方で、浅草鳥越で創建され、蔵前に移り、その後、本所押上、そして、現在の浅草今戸に移ってきたとも言われています。


 嘉永6年(1853)版の今戸箕輪浅草絵図には、現在と同じであろう場所に慶養寺が記載されています。北に「本竜寺」と書かれていますが、現在も同じように本龍寺があります。穢多村を囲むようにお寺が配置されているのは何か意味があるのでしょうか?


戸男色(BoysLove)物語の聖地

 このタイトルは語弊があるのかもしれませんが。ですが、井原西鶴の「男色大鑑(なんしょくおおかがみ)」の中にある「薬はきかぬ房枕」の侍複数人に及ぶ恋物語の末、若い侍二人、伊丹右京と、母川采女の切腹の舞台になったお寺なのです。
 「男色大鑑」とは、またすごいタイトルで、40に及ぶ男色(BoysLove)物語が描かれています。江戸時代まで、男色は特にアンダーグラウンドなものでも無く、武士同士の男色も戦国時代から続く習俗だったようです。ヨーロッパの文化が入ってきて、男色はアンダーグラウンドになったのでしょうか。そしてまた、LGBTとかヨーロッパで言われ始めると、それにつられて、文化も引っ張られてしまって・・・そんな話は、今回は関係ありませんね。


 この「薬はきかぬ房枕」は実話でありまして、「藻屑物語」という作者不詳の仮名草子にも描かれています。藻屑物語には、母川采女は、舟川采女と書かれています。
 藻屑物語には、かの江戸川乱歩も心を引かれたそうで、慶養寺を訪れ、「もくづ塚」を著しているんです。慶養寺には、伊丹右京と舟川采女を偲んで「毛久津(もくづ)塚」があったそうですが、江戸川乱歩は、関東大震災で倒壊した毛久津塚を見たことを記しています。
 二人が切腹したのは、今戸にある今の場所ではないようですが、江戸のBLロマンスに想いを馳せてはいかがでしょうか。

養寺の場所、アクセス

東京都台東区今戸1−6−22
 

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