2021年10月3日日曜日

臨川山 本龍寺|浅草ならではのタブーや、スキャンダルに関係するものが残されたお寺

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 元和2年(1616)に創建されたお寺です。この本龍寺、浅草ならではのタブーとかスキャンダルに関係するものが残されています。


 境内に入ってすぐあるのが、「八杉峰吉之墓」の碑。八杉峰吉という人は、花井お梅という芸妓に三味線の箱を持つ付き人(箱屋)として雇われていた人ですが、その雇い主のお梅に刺し殺されてしまいました。当初、麻布の長谷寺に葬られましたが、その後、この本龍寺に改葬されることになり、改葬の際には、同業の箱屋はもちろん、芸妓、はたまた歌舞伎役者まで集まったそうです。
 芸者=現在でいうと、ホステス、キャバ嬢。そのお付きの人が殺されたからといって、そんなに大騒ぎになるのか、今では考えられませんが。このようなスキャンダルが、当時は、演劇化され上演されていたからなのでしょう。


 上の写真の左端が、その「八杉峰吉之墓」の碑。真ん中はよくわかりませんが、右端は、「辞世・・・・・・・国周老翁・・・」と刻んでいる石碑があります。国周とは、豊原国周のことでありましょう。浮世絵師であり、本龍寺にお墓があります。Wikipediaの豊原国周の項には、豊原国周の辞世の石碑は現存していないとありますので、この石碑はもしかしたらレプリカでしょうか。


 境内奥には、当たり前ですが墓地があります。
 この墓地には、日本近代史のタブーというと失礼かもしれませんが、穢多頭(長吏頭)の浅草弾左衛門のお墓があります。浅草弾左衛門は、姓を矢野と改めたそうです。



 江戸切絵図「今戸箕輪浅草絵図」には、見づらいですけど、「本竜寺」として書かれています。穢多村のすぐ東。穢多村は、浅草弾左衛門の邸宅があった土地です。

龍寺の地図、アクセス

東京都台東区今戸1−6−18  

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