2021年10月3日日曜日

今戸神社|タブーの歴史多い浅草で、縁結びにご利益があると人気の神社

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戸神社の歴史

 浅草寺の北東は、今戸という地域になりますが、その昔は今津と言ったそうです。津とは船着場の意味ですね。隅田川の船着場から地名が付いたのでしょうか。
 隅田川沿いにある今戸神社、創建は、康平6年(1063)と伝わっております。源頼義、義家父子が、奥州征伐に赴く際に、この地に京都の石清水八幡を勧請したのが始まりです。ですので創建当初、今戸神社ではなく今戸八幡でありました。


 江戸切絵図「今戸箕輪浅草絵図」には、「八幡 松林院」と記されており、今戸八幡であったことが分かります。今戸八幡の西側には、白抜きの土地に「穢多村 俗ニ新町ト云」と書いてあります。ここには、穢多頭(長吏頭)の浅草弾左衛門の屋敷がありました。穢多頭の話になると、タブーな話になりますので、深堀は避けますが、浅草の北にはそのような場所があったのです。
 この絵図には記されていませんが、穢多村には、白山神社という神社がありました。白山神社とは、それこそ、被差別部落と関係が深いとされていますが、当然のように、ここにも白山神社があったのです。昭和12年に、その白山神社が、今戸八幡に合祀され今戸八幡は、今戸神社となったのです。

戸神社、境内散策


 今戸神社、もと八幡様ですから、武運長久を祈る神社だと思ってお参りしてみると、イメージと全く違います。なんといっても、女性の参拝者が多い。女子が武運長久を祈るのか!?そんなことを疑問に思ったら、女性蔑視なのか!?女性だって、戦うのだ。


 そんな考えても仕方ないことを考えて散策していると、境内には多くの絵馬があるのですが、その絵馬が角がない丸い絵馬。珍しいなとよく見てみると、絵馬には招き猫が描かれています。


 八幡様は、武運長久にご利益あるのですが、一方で、ご祭神の応神天皇は、母の神功皇后との母子愛に恵まれていたことから、慈愛にご利益があると。


 また、昭和に入り合祀された白山神社は、伊弉諾尊と亡くなり醜くなってしまった伊弉冉尊の仲を仲裁した菊理媛尊を祀る神社です。亡くなった伊弉冉尊の穢れを祓うあたりが、菊理媛尊、白山神社と被差別部落の始まりだとする説もありますが。今戸神社は、菊理媛尊は祀っていませんが、伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀っており、そんなところから、縁結びにご利益があるとされるようになり、女子人気が高くなったようです。



戸神社の地図、アクセス

東京都台東区今戸1−5−22  

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