2021年10月31日日曜日

吉野通り(都道464号)|山谷ドヤ街めぐり①ドヤ街の目抜き通り

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 都道464号、泪橋の交差点から、浅草高校前の交差点までが「吉野通り」という通りです。なぜ、吉野通りと呼ばれているのか分かりません。
 泪橋から、少し北に行くと江戸時代、小塚原刑場があった場所であり、泪橋周辺から南には、日本三大ドヤ街の一つである山谷ドヤ街が広がっています。
 この泪橋の下には、かつて思川と云う川が流れていました。処刑される罪人と、それを見送る親類などがこの橋で涙したと云う悲しい歴史が刻まれている場所であります。小塚原刑場なんて過去のことですし、そして、山谷のドヤ街というのも、もはや歴史の一部になろうとしているようです。
 山谷は、間違いなく高度経済成長を支えた日雇い労働者たちを受け入れた街だったのですが、日雇労働者たちが寝泊まりした簡易宿泊所(宿:ヤド)は、半減しているようです。日雇労働が減ったのか?日雇い労働をするような人たちは今何をしているのか?ここでは、そのような社会問題はあまり取り上げないようにしているので、割愛しますし、よく分かりません。
 ただ、そのような街の歴史が文化を生み、そして、人々が一生懸命生きた過去が風情ある街並みとして残っています。

野通りの地図、アクセス

東京都台東区日本堤1〜2、清川2、東浅草1〜2、今戸2





 吉野通りは、下町らしい昭和レトロ感あふれる商店建築、看板建築が残る情緒あふれる通りであります。休日に散策したので閉まっていましたが、石田資生堂は、現役のようです。







 吉野通りから路地裏を覗くと、ニューホテルとか、ビジネスホテルの看板がどっと押し寄せます。そうですね、ビジネスホテルは、ドヤ(宿、簡易宿泊所)が転じたホテルですね。日雇い労働者向けの宿では成り立たなくなり、ビジネスホテルに転じている宿も多いようです。



 このドヤ街には、酒場が沢山あります。新型コロナ最中であったため、ほとんど閉まっていましたのが残念ですが。労働者のための酒場なのでしょう。




 ビジネスホテル化している宿は少数で、このような建物は、そのままドヤなのか、ドヤの名残りなのか。このような建物がたくさん、この辺りにあったのでしょう。そしてドヤに泊まれれば幸せで、泊まれない人も大勢いたのでしょう。


 日雇い労働者が暮らす街で、労働者向けの酒場が多くある山谷は、当然、治安は悪く、一般の人が訪れられるような地域ではありませんでした。が、今では、このように、ドヤの風景は、過去のものとなりつつあり、しかも、昭和レトロな趣さえ感じてしまうほど歴史と化しているのです。




 上の写真のお店は、ネットでも有名な、元寿司屋だった駒寿司と云うお店なのです。行きたかったのですが、閉店してしまっていました。このような酒場というかお店で、労働者が飲んでいたのでしょう。




 こんなドヤ街から、スカイツリーが見えます。このどうしようもない下町から見えるスカイツリー。スカイツリーの周囲は、いつまでたっても垢抜けないですね。


 駒寿司で飲みたかったのですが、閉店となってしまっているため、放浪した後、吉野通りにある酒場に入ったのですが、どこに入ったのか覚えていません。どこにも店名が書いてなかったような気がします。


 酒は、缶ビールなど、つまみは目玉焼きなど、もはやお店の体を成していないような酒場でした。


 お客さんは、多分地元の労働者の方達。その中に混じって、70前後と思しき老婆のお客さんが、かなりくだをまいていました。老婆なのですが、黒のワンピースを着ていて、なんだかおしゃれ。若い時はきれいだったのかもしれません。くだをまいて、周りのお客さん、お店の女将さんから、酒を止められていました。
 夕暮れに酒場で一人酒を飲むのですから、一人なのだろうな。年を取っても、きれいにしてい流洋ではありますが、酒にルーズで、なんで、山谷で酒を飲んでいるのでしょう。吉原も近いし、そこで働いていた人なのかな・・・なんだか人生を考えさせられます。
 そんな店内の喧騒を聞きながら飲んでいると、厨房の奥で何か動くものが!・・・巨大なドブネズミ・・・急いで、逃げるように、お店を出ました。山谷、恐るべし。


 昭和レトロな光景にノスタルジーを感じながら、昭和レトロなんて言葉で片付けてはいけないそれぞれの歴史、人生があるんだと思いました。
 そんな感傷に浸りながら散策を続けていると、極め付けな物件が!


 倒壊しそうな廃墟に見えるのですが、どうも、現役の宿泊所らしいです。かつては、いなりや宿泊所といったそうで、現在ではルマ・いなりやというそうです。これは凄いです。建物は倒壊しそうな建物、そして、その建物を樹木が覆っている。中はどうなているのでしょうか。
 数十年前は、ここに日雇い労働者が宿泊していたのでしょうが、今は、どんな人が宿泊しているのでしょうか。


 ルマ・いなりや、山谷の奇跡をあとにして、散策を続けていると、日も暮れてきました。昼間は、労働者どころか、人通りがほとんどありませんでしたが、なぜか、日が暮れると、老人が、どこからともなく出てきて歩き始めたのです。何なんだ?


 この老人たちは、かつての日雇い労働者なのでしょう。高度経済成長を支えた土木建築は、バブル崩壊以降、激減し、そのようなところで活躍していた日雇い労働者たちは、高齢となり、保護を支給されながら、この山谷に住み続けているのでしょう。


 そんな山谷のドヤ街のど真ん中にある酒場山酔は、夕方開店です。こんな下町のドヤ街の酒場ですが、女将さんは、着物を着ており、下町の酒場とは思えません。先ほどのドブネズミの出たお店とは雲泥の差・・・ですが、価格は下町価格。
 ドヤ街華やかりし頃は、この辺りに酒場がたくさんあったようですが、この界隈では、ここだけになってしまったそうです。やはり、そんなところからも、もう、かつての山谷ではないということが分かります。





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