土手通りは、江戸時代には日本堤と呼ばれる通りでしたが、その下にこの合力稲荷がありましたので、江戸時代には、土手のお稲荷さんと呼ばれていたそうです。
創建は永禄年間(1558−1570)ですので、戦国時代からこの地にあります。当時の山谷村の百姓によって郷中鎮守として奉斎されたとされています。山谷村がどこからどこまであたりだったのかよく分かりませんが、山谷ドヤ街あたりでしょうか。
農村地帯であった山谷の百姓たちが奉斎したのですから、食を司る保食神が祀られています。今となっては、この界隈に農家は存在しないでしょう。農家がいなくなっても、そのまま400数十年、変わらずここに存在するパワーに恐れ入ります。
また、合力稲荷には、馬頭観音が合祀されています。寛文3年(1663)、四代将軍、家綱の愛馬「荒波」が、日光参りの途中で亡くなってしまったため、合力稲荷に祀ったそうです。
狭い境内ですが、境内には、力石が奉納されています。この力石には、「三ノ宮卯之助、足持石・・・」などと刻まれています。三ノ宮卯之助という人は、江戸末期に、力持ちを見せ物として各地を巡業して回った人のようです。足持石ということは、足で持ち上げた石だと考えられるそうですが、こんな大きな石を足で持ち上げるとは・・・
合力稲荷神社の場所、アクセス
東京都台東区浅草6−42
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