2021年11月23日火曜日

アサヒ商店街|吉原、山谷、浅草に近いが特にこれといった特徴のない小寂れ商店街

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 吉原遊廓の大門に通じる五十間通り。その五十間通りは、土手通り(旧日本堤)を挟んで日の出商店街につながります。廃れかけた日の出商店街を東に歩くと吉野通りに出ます。吉野通りを渡ると、今度は、このアサヒ商店街になります。
 アサヒ商店街のサイトによりますと、このあたりは、江戸末期から明治にかけて、この辺りは別荘地だったそうで、三条実美、有馬頼威などの別荘地があったそうです。


 嘉永6年(1853)の「今戸箕輪浅草絵図」には、お寺と町屋、田圃ばかりで別荘があったのかどうか分かりません。それにしても、西に仕置場(多分、小塚原の刑場ですよね?)があり、東には穢多村、南には吉原遊郭があり、あんまりいい土地柄ではないような気がします。ですが、実際、明治期には、隅田川沿いに三条実美の別荘、対鴎荘があったそうです。
 アサヒ商店街近辺ということではなく、隅田川ぞいがそのような別荘地だったのかもしれません。ということは、北に上流階級の別荘地があり、西に仕置場、東に穢多村、南に遊郭、これらの超現実的な空間に挟まれた地域だったということになるのでしょうし、どう見ても、このアサヒ商店街は、立地的に、上流階級の人たちというよりは、やはりこの地域の庶民のための商店街であると思われます。


 アサヒ商店街は、靴磨きに関してギネス記録を持っています。なぜ、靴磨き?と不思議に思いましたが、浅草界隈は、日本有数の皮革産業地帯だったからでしょう。


 昭和30年頃には、100店舗あったそうですが、商店街の地図を見る限り、現在では45店舗程度で、半減してしまっているようです。休日はやはり、お休みのお店が多いのでしょう、シャッターが閉まっているお店が多いのですが、平日だとそれなりに、もう少し活気があるのかもしれません。


 吉野通りを軸とした他の商店街も寂れてはいますが、日の出商店街は、吉原遊廓との深い関係の痕跡がありますし、いろは商店街は、山谷のドヤ街にあった商店街としてその痕跡を残していて、それなりに散策が楽しめるのですが、しこのアサヒ商店街は、そのような特徴が感じられないというか・・・なので、過去には高級別荘地であったとか、はたまた平賀源内ゆかりの地とか銘打ったりしているのでしょうか。平賀源内の墓所が近くにあるにはあるのですが、そんなに近いとも思えないのですが・・・
 ただ、先にも書きましたが、浅草は、皮革産業地帯ですから(でしたから?)、アサヒ商店街あたりにも、そのような工場がたくさんあり、そこの職人さん向けの商店街だったりしたのでしょうか。それか、ただ単にこの地域の住民のための商店街だったのでしょうか。


 レトロな看板建築など残っていますが、一部、くたびれ感が増している建物もあります。このようなレトロな建物に、ニュースタイルなカフェとか入ったりしますが、アサヒ商店街には皆無でした。立地が良くないのでしょうか。
 それでも飲食店は、割とバラエティーに富んでいて、定食屋、蕎麦屋、中華屋、鮨屋、カレー屋、焼き鳥、喫茶店など。そして、全くチェーン店に侵されていない、個人店ばかりであることが、アサヒ商店街の飲食店の魅力の一つではないでしょうか。






サヒ商店街の地図、アクセス

東京都台東区清川1丁目、2丁目


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