2021年11月7日日曜日

日の出会商店街|吉原遊廓に必要不可欠であった商店街。今は・・・

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 かつての吉原遊廓、現在では、吉原ソープ街。吉原の大門から土手通りを渡って、東に延びる通りが、日の出会商店街。台東区商店連合会のサイトによれば、関東大震災後に、「吉原大門通り日の出会」として発足したとのことです。やはり、吉原遊廓との関係が深く、桜鍋、鮨屋、床屋などのお店が軒を連ねていたそうです。
 吉原の遊客などでとても賑わったのでしょう。この辺りは、吉原遊廓を中心とした一大繁華街だったようです。


 戦後も、「吉原大門通り日の出会」として再スタートしたそうですが、昭和32年に成立した売春防止法により、全国の遊廓ともども吉原遊郭も廃止となってしまいました。これに日の出会商店街は、大打撃を受けたようです。
 遊廓としての吉原は廃止になったのですが、風俗街としての吉原は、その後も、ソープ街として存続していて、風俗界でのその地位は不動のもので、大勢のお客さんが集まっていると思うのですが、なぜに遊郭でなくなったことに大打撃を受けてしまうのでしょうか。


 大打撃を受けたという言葉の通り、現在の日の出会商店街は、閑散としており、なんだか古くて風情のある商店建築があり、歴史があることは分かりますが、看板がなかったり、廃業してそうな建物が多いです。
 遊廓と、ソープランド・・・遊び方の違いが大きいのでしょうか。同じ風俗ですが、現在のソープランドなどは、即物的でありますが、その昔の遊郭で高級遊女に通えるようになるためには、お金だけではありません。事を成し遂げるためには、3回通わなければならず、しかも遊女に気に入られなければなりません。そのため、遊廓の近くには、身支度をして遊郭に行くために、風呂屋、床屋があったそうです。ですので、この日の出会商店街にも、床屋があったのでしょう。また、散策していると、路地裏に銭湯がありました。この銭湯が、そのような時代からあるものか分かりませんでしたが。
 馬力をつけるために桜鍋屋があったり、遊郭での食事のために、酒屋や仕出などもあったでしょう。今の即物的な風俗とは全く異なり、風俗店だけでは成り立たない、遊郭に必要な商店が、その地域にサプライチェーンのように存在していたのではないでしょうか。


 ですが、時代が移り、風俗は即物的なサービスに変化したため、遊郭サプライチェーンは崩壊したのでしょう。
 下の錆びたトタンの看板建築には、「純氷販売 佐藤」と掲げられています。氷屋があるとは、古い繁華街なのだなと実感させられます。
 その隣には、旅館。近年、近くの山谷ドヤ街では、簡易宿泊所が海外のバックパッカー用の旅館に様変わりしていますが、この旅館もその類でしょうか。分かりません。北に並行するようにある「いろは商店街」の一部は、山谷ドヤ街の面影がありますが、この辺りは、それほど、山谷ドヤ街を感じませんので関係ないのかもしれません。





 休日だからなのか、それとももう廃業しているお店が多いのか、古い商店建築のほとんどは、看板が無く、シャッターが閉まっています。





 日の出会商店街の東端あたりには、「丸千葉」という名酒場があります。下町の大衆酒場ですが、予約しないと入れない人気店です。予約していない私は入れませんでした。



の出会商店街の地図、アクセス

東京都台東区日本堤1丁目、東浅草2丁目

     


の出会商店街 情報交換

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