2022年4月16日土曜日

北千住サンロード商店街|昭和とサブカルが交錯する下町商店街

 ホーム東京の商店街>北千住サンロード商店街


 北千住宿場町通り商店街(旧日光街道)と日光街道をつなぐ細い商店街が、北千住サンロード商店街。宿場町商店街と比べると、生活感、地元密着感が強い商店街ですかね。



 こんな下町の商店街に、古着屋があります。北千住では、駅西口にある飲み屋横丁のときわ通りにも、1軒、古着屋があるのを以前、発見しています。古着屋があるからなんだということもないのですが、若者が集まるような場所でもないのに、古着屋が、ぽつんとあるのが不思議だなと。ただ、このお店、キッズの古着も置いてあるのが、とんがっていないというか、生活感があって、北千住っぽいな。


 サンロードも、宿場町通りと同じく、飲食店も多めで、飲食店も地元未着な感じの酒場。いちはつは、「吉田類の酒場放浪記」で吉田類が訪れたお店。北千住界隈は、どこに行っても個性あふれる酒場が多くあるのがありがたい。
 その奥は、廃業しているようですが、看板に「DPE 写真材料」と書かれているので、写真屋だったようです。町には写真屋があったものですが、これももう昭和の遺構なんでしょう。



 CURRY BAR GAKU。カレー屋ですが、たまに、DJイベントや、映画イベントなどやっているサブカルなバーでもあります。先の古着屋と同じく、この生活感、地元密着感あふれる商店街には、異質なお店なのです。その手前には、もう廃業してそうな惣菜店。新旧交錯する商店街。


 町のパン屋。平成初期の創業だそう。
 平成の時代に、初期とか中期とかつける発想もありませんでしたが、もう、平成に初期とか中期付けてもいいかなと思い付けてみましたが、平成初期なんて、もう、かなりの昔ですね。そう考えると、このお店も永くやってるんだなと思います。


 私、東京の商店街しか分からないのですが、古い商店街には必ずといっていいほど、練り物屋、おでん種屋があります。サンロード商店街にもありまして、戦後からあるようです。商店街の設立が昭和25年(1950)といいますから、商店街とともに歴史を歩んできたのでしょう。
 いつも思うのですが、商店街でおでん種屋が成り立つって、そんなに家でおでんするのかな?我が家は、冬のシーズンに、おでんするとしても、月に1回?2回?くらいかな。1世帯の冬シーズンの1月のおでん回数を2回とすると、どうなるのだろう?おでん種屋って成り立っているのか?
 サンロード周辺の地域は、千住3丁目、4丁目、千住寿町あたりかな。そこの世帯数は約3900世帯。1月のおでん回数を2回とすると、1日の利用世帯は、250世帯。1回あたりの購入金額が1,000円とすると、月の売り上げは1,550,000円。おでんのシーズンって、どうでしょう?11月から2月くらい?そうすると4ヶ月。6,200,000円。原価がどれくらいか分かりませんが、やっていけそうですね。また、もしかしたら、受託製造なんかもしているかもしれませんし、もっと儲かっているのかもしれませんね。
 余計なお世話なことは分かっています。


 そして、やはり、奥に進むと、廃業した商店が並んでいるのです。看板建築もありますから、かなり年季が入っていることが分かりますし、過去には、この辺りまで賑やかだったのかなと想像させられるのです。


 廃業したであろう、看板建築が並んでいますが、どちらかが平野屋という煎餅屋。この平野屋、実は、創業が文久2年(1862)。幕末とは言え、江戸時代からある煎餅屋だったんです。日光街道沿いにあった煎餅屋。売れ残った団子を伸ばして焼いて売ったのが始まりだそうで、醤油味の平たい煎餅の発祥が、平野屋だそう。
 そんな歴史的な煎餅屋も閉業してしまうなんて、残念ですわ。


 平野屋の遺構の向かいにあるのが、石黒のあめ。平野屋には負けるのですが、昭和8年(1933)の創業。職人さんが作るアメなんて買わないし、とうか買えないし、売ってるところないし。北千住のこんな場末に、職人さんが作る飴屋さんがあるなんて、素晴らしくないですか!谷中とかの観光地にあるとお客さんで賑わいそうですが、残念なことに、こんな北千住の場末にある故に、いつ廃業になってしまうのか・・・



 Rettyで北千住のグルメを検索 

千住サンロード商店街の地図、アクセス

東京都足立区千住2丁目、3丁目、4丁目
 

0 件のコメント:

コメントを投稿

こちらからコメント、情報をお願いします。