2022年4月17日日曜日

大門商店睦会|千住遊郭(柳新地)の今① 遊郭のメインストリートにつながる商店街(だった?)

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 ネットで「東京 大正通り」と検索すると東京には明治通りと昭和通りはあるけど、大正通りがないという記事が出てきますが、そんなの嘘っぱち。ここ足立区千住にもありますし、墨田区東向島にもあります。
 この足立区千住の大正通りから西に入ったとある路地、大門商店睦会という商店街になっております。
 大門でピンとくる人がいると思いますが、昔の遊廓の入り口には大きな門、大門があったわけです。そう、この先には、その昔、千住遊郭(柳新地)の大門があったのです。大門を入ると、そこは遊郭のメインストリートだったわけです。大門商店睦会は、遊郭のメインストリートにつながる通りですから、それは人通りも多く、繁盛したのではないでしょうか。
 過去に繁盛したとしても、昭和33年(1958)には売春防止法の猶予期間が終わり、千住遊郭もそこで営業が終了しています。それから半世紀以上が過ぎたことになり、商店街の街路灯があるにしても、商店というよりは、飲食店が住宅に混じって少しあるだけ。


 もう終わってしまった商店街なんだな。でも、千住遊郭があった頃は、もっとお店がたくさんあったのだろうか。こんな寂れ具合だと全く想像つきません。


 日光街道の千住宿にあった遊郭が、大正10年(1921)に、ここ千住柳町に移ってきたのですが、田んぼだったこのあたりに移ってきたので、当時は、うら寂しい場所だったようです。それが、遊郭に人が集まるものですから、次第に遊郭周辺にも酒場ができ、また、私娼をおく青線も多くあったようです。
 そのような名残で、この通りには、飲食店が多くあるのかな。



 なんだか風格のある建物に出くわしました。2階は住居のようですが、1階は商店か、事務所か何か入っていたっぽいつくりです。が、今は1階部は居抜きのようです。ただ、1階の窓ガラスに、新聞紙が貼り付けてあるのですが、割れて応急処置をしているのかなと思いきや、コラージュのように、海外の新聞だか、雑誌が貼り付けてあります。なんだろう?疑問投げかけておいて申し訳ありませんが、答えはありません。



 大門商店睦会の通りは、少しうねりがあります。
 吉原遊廓もそうですが、大通り(土手通り)から大門に入るまでの通り(五十間通り)は、うねりがあり、大通りからは吉原遊郭を見ることができません。千住遊郭も大正通りから見えないように、うねりがあるのでしょうか?それとも、たまたま?


 上の写真の看板建築、プチアキという駄菓子屋。休日の散策だったのでしまっていたのか、それとも永久閉店なのか。この駄菓子屋、店内でもんじゃ焼きも食べれるという、真性東京下町の駄菓子屋なのです。
 こっから、千住遊郭の痕跡を探るべく、柳町仲通り電灯会千住大門商店街などを隈無く散策したあと、大門商店睦会から大正通りに戻り、大正通りと交わるところにある酒場、大ちゃんで一服したのでありました。(一番最初の写真の建物にある酒場)


 前にも一度来たことありますが、外観も、店内も、ザ・昭和、ザ・下町。
 夕方入った時は、お客さんいませんでしたが、その後、入ってきたお客さんは、全て常連。その中のお一人は、前に来た時もいらっしゃいました。素晴らしき下町。常連に囲まれても、全く居心地は悪くありませんよ、だって飲んでるもん!


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門商店睦会の地図、アクセス

東京都足立区千住柳町、千住龍田町
 


住遊郭(柳新地)の今 その他の記事


②柳町仲通り電灯会
旧千住遊郭(柳新地)の大門から、目貫通りであった通りの商店街。いや、もう商店街とすら言えない寂れた通り。遊郭や赤線時代の遺構も何もない。ただ、商店街の南側は、昭和レトロな商店街の面影が残っています。
③千住大門商店街
旧千住遊郭の東側の南端に沿った商店街。赤線が廃止されるまで、商店街の裏が歓楽街だったのです。今は、千住柳町界隈では、まだまだ活気のある下町商店街。
④千住元町明光会
旧千住遊郭から少し北西にある商店街。この付近で、唯一カフェー建築のような建物を発見できた。商店街としては、もう寂れているが、看板建築も多く残っていて、昭和の活気のあった頃を窺い知ることのできる商店街。


考文献

赤線跡を歩く 木村聡(著)
江戸・東京 色街入門 八木澤高明(著)
花街・色街・艶な街 上村敏彦(著)
町雑誌「北千住」VOL.14 町雑誌千住編集室(編)

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