2022年4月23日土曜日

柳町仲通り電灯会|千住遊郭(柳新地)の今② 色街的なものは何もない

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 北千住駅から西に歩くと、旧日光街道、日光街道、そして、大正通り。
 北千住駅前は、下町とはいえ、ターミナル駅の賑わい、旧日光街道あたりは、宿場町の風情が残る下町、そして下町住宅街となるのですが、住宅街のそこかしこに商店街があるのが北千住。当たり前ですが、駅から離れるほどに、商店街は、規模が小さくなり、まだ商店街なのかなんなのかよく分からないノスタルジックな商店街となるのです。
 大正通りから、それこそ衰退商店街の大門商店睦会を北上した先に、柳町仲通り電灯会があります。もう、この商店街も、商店街と言えるのは、商店街の南側入り口あたりだけで、その先は、住宅街化しております。
 ただ、この南側入り口あたりのノスタルジックな景観が、ありし日の下町のミニマルな生活空間を思い起こさせます。


 まずは、このミニマルなガソリンスタンド。大通りでもない、車がすれ違うのもやっとな、こんな道幅の狭い通りにガソリンスタンド。このミニマル感が、なんだか昭和の下町を感じさせてくれます。


 そんなミニマルガソリンスタンドの隣は、大衆食堂。いや、中華そばと書いてあるから町中華?でも、ホッピーって書いてるから、酒場?
 下町らしい、ノンカテゴリーなお店。開いていたら、ぜひ入りたいお店ですが、閉まっていたので残念・・・


 その向かいには、存在感たっぷりな寿司屋。看板には、國太寿司と書いてあったり、のれんには菊國力と書いてあったりしますが、國太寿司というのが、店名のようです。


 國太寿司から、柳町仲通り電灯会の通りは、まっすぐ北へ伸びていますが、國太寿司のところが、大正から戦後の赤線廃止まであった千住遊郭(柳新地)の大門があったところになります。そして、この通りは、千住遊郭の中心を貫く目貫どおりだったのです。
 古い写真を見ると、石造りの大門が、現在の國太寿司の前あたりにあり、國太寿司の場所には小料理屋があります。その小料理屋は國太寿司に代わっていますが、少し、往時を偲ばせる雰囲気があります。
 この國太寿司は、昭和33年創業だそうで、ちょうど売春防止法が施行され、赤線が廃止になった時に創業したということになります。まだまだ、色街の艶がある通りであった頃からあるのです。


 柳町仲通り電灯会という商店街が結成されたのですから、千住遊郭の中心街は、赤線廃止後、商店街と成り変わったということになります。しかしながら、通りには商店と呼べるような商店はほとんどなく、少し残る看板建築が商店街だったんだなと思わせるだけの寂れた通りになっております。



 戦前は、遊郭、戦後の赤線廃止まではカフェー街として艶やかな街であり続けたわけです。そのような地域では、未だにカフェー建築が残っているのですが、この通りには、どうやら残っていないようです。



 裏通りに、カフェー建築が残っている場合が多いので、裏通りには何か残っているのでは?と、裏通りを見逃さないように縦横無尽に歩いてみましたが、私の見る限り、カフェー建築のような建物はありませんでした。わずかに、レトロな商店建築が残っていましたが。


 こんな路地裏に、昭和の面影のような商店。


 この建物は、どうでしょう?元料理屋か何かでしょうか。ここもかなりの路地裏で、周りは住宅ばかりですが、やはり、このあたりが繁華街であったことの名残なのでしょうか。

町仲通り電灯会の地図、アクセス

東京都足立区千住柳町12〜14、19〜24
  


住遊郭(柳新地)の今 その他の記事


①大門商店睦会
千住にあった遊郭、千住遊郭(柳新地)の大門につながる、千住遊郭のメインストリートにつながる商店街。過去には和変えたのかもしれませんが、今は、住宅街の合間に飲食店が少しある通り。
③千住大門商店街
旧千住遊郭の東側の南端に沿った商店街。赤線が廃止されるまで、商店街の裏が歓楽街だったのです。今は、千住柳町界隈では、まだまだ活気のある下町商店街。
④千住元町明光会
旧千住遊郭から少し北西にある商店街。この付近で、唯一カフェー建築のような建物を発見できた。商店街としては、もう寂れているが、看板建築も多く残っていて、昭和の活気のあった頃を窺い知ることのできる商店街。



考文献

赤線跡を歩く 木村聡(著)
江戸・東京 色街入門 八木澤高明(著)
花街・色街・艶な街 上村敏彦(著)
町雑誌「北千住」VOL.14 町雑誌千住編集室(編)

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