2022年5月3日火曜日

千住ニコニコ商店街|千住遊郭、都電とともに繁栄し衰退したレトロ商店街

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 朝9時頃から散策を始めたので、はっきり言って、このニコニコ商店街の本当の姿を見ることはできていません。そして、私の散策は休日しかできないので、地域に根ざした商店街は、休日は休みこのことが多く、なおさら、その商店街の本当の姿を見ることができません。
 シャッターの閉じているお店ばかりで、果たして、ただ休日で、しかも早い時間だからシャッターが下りているのか、それとも閉業してしまっているのか・・・分かりません。
 ただ、地元に根ざした古い商店街にありがちな、新しい住宅がじわじわ浸食しつつあり、古くからの商店建築は残っているものの、商店建築が住宅に転換されていたりするような有様です。


 足立区の商店街の振興組合のサイトには、ニコニコ商店街のことを、このように書いています。「昭和24年2月、商店会として呱々の声を上げ、以来31年余幾多の変遷を経てきました。街路灯も当初のスズラン灯から水銀灯へ変わり、アーチも新設(3基)し、照明も一段と光彩をはなっておりました。ただ発足当時の盛況は33年柳町遊郭廃止、都電の撤収等の影響により、人の流れが当会を横切り北千住駅を重点にする流れに替わり、次第に衰退の一途をたどる様になりました。近年において「地元と客は地元へ」のモットーのもと、各店単独売り出し、特売を実施。平成3年2月43基の水銀灯を建て替え街を明るくする。」
 平成3年の予定が書いてあるので、かなり前に書かれた紹介文ですが、紹介文に「衰退の一途をたどる」なんて書いてあって、ちょっと衝撃的。そんな中で、単独売り出しとか特売を実施するとか、大手スーパーに対抗できるのかとか考えると、悲壮感すら感じてしまいます。
 また、アーチを新設と書いてありますが、確かに過去には大きなアーチがあったようですが、今ではアーチも撤去されたようで、東側の入り口の街路灯に、「ニコニコ商店街」という小さな看板がちょこんとのっているのみです。


 なるほど、成り立ちの時代に遡ると、ニコニコ商店街の南に千住遊郭があったので人の集まる賑やかな場所だったということと、都電が日光街道を走っていて、近くに駅(千住四丁目)があったから、だから、ここに商店街ができたんだ。さぞ賑やかだったんだろうな。
 昭和33年(1958)に遊郭というか赤線が廃止になって千住の歓楽街から灯りが消えてしまい、そして昭和44年(1969)、都電北千住線が廃線となり、人の流れが全く変わってしまって、逆になんだか住宅街に過去の遺物がある異質な空間になってしまったのですね。


 栄枯盛衰、盛者必衰の理をあらわす。時代の流れというものは恐ろしいものです。その当時は必然的に、ここに商店街が形成され、商売を始めたのに、まさか、売春防止法なんてのができて赤線が廃止に追い込まれるとか、さらに都電まで廃止されるなんて思わないですよね。
 先の足立区商店街振興組合の説明によると、店舗数が13店舗となっています。これがその平成3年当時のままなのか、それともリニアに変更されているのか。それにしても13店舗とは寂しすぎるではないか。


 看板建築や古い商店建築はかなり残っていて、13店舗どころではなく、4倍近くはあったような気がします。今では、戦後昭和のノスタルジーに浸るしかできません。まあ、それが好きで散策しているのですが。


 空がよく見えるなと思ったら、周囲に高い建物がないですね。ある意味、ここから見える空は、昭和のままなのかもしれない。


 このお米屋さん、壁面の色使いといい、スペイン瓦といい、なかなかモダンな建物。古いお米屋さんは、風格のある建物が多いですが。こんな建物が並んでいたとしたら、ニコニコ商店街、当時はモダンな感じの商店街だったのかな。





 昭和11年(1936)創業の老舗銭湯、金の湯。外観がスーパー銭湯のようにも見えますが、そんなことはない老舗の銭湯です。この銭湯の奥に千住遊郭があり、戦後は、赤線カフェー街となったのです。多分、今のソープランドと違って、妓楼とかカフェーにはお風呂はなかったと思いますので、遊客も銭湯を利用していたんだと思います。



 すごく渋い2軒。お店という感じの間口ではないですね。飲食店だったのでしょうか。





 看板建築、上部がタイル張り。古い建築物にタイル張りしてあるとカフェー建築かなと思ってしまいますが、違うかなぁ、どうなんだろう。いずれにしても、当時のタイル張り建築は、おしゃれでモダンだったんだと思います。そんな名残が、上の方だけ残っている。



 ニコニコ商店街は、途中から千住元町明光会という商店街に変わるのですが、その変わり目の北の路地を見やると、なんと威風堂々とした銭湯が!


 銭湯付きの人たちから、キングオブ縁側や、キングオブ庭園と呼ばれ愛されるタカラ湯。タカラ湯のサイトによると、昭和2年(1927)の創業。現在の建物は、昭和13年(1938)に建てられた宮造りの立派な建築。



 千鳥破風がとても立派。終戦直後は、日に1500人から2000人も客が入ったそうです。今の値段で計算すると、日に70万から90万の売り上げ。こ、これ2億から3億近くの売り上げに。いやぁ、銭湯の建物が立派なのがよく分かりました。下衆ですみません・・・



 ニコニコ商店街と並行する裏通りとなる、タカラ湯がある通り。ここにも看板建築が残っています。1日に2000人近くの人が来た銭湯ですから、この辺りの人通りは凄まじかったんだろうなと思います。



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住ニコニコ商店街の地図、アクセス

東京都足立区千住柳町、千住大川町

     


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