2022年7月31日日曜日

荒川仲町通り商店街(おかず横丁)|昭和レトロ商店街から、荒川のキセキの角打ちまで

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 JR常磐線の三河島駅降りてすぐある商店街。三河島という地名は、江戸以前からあったと考えられる歴史ある地名だったのですが、昭和43年(1968)に消滅し、この辺りは、荒川という町名になっています。昭和37年(1952)死者160名を出した旧国鉄の三河島事故があまりにも有名になったため、そのイメージを払拭するためだとも言われていますが、真偽は定かではありません。


 現在でも、荒川区には3000を超える町工場があります。それこそ、かつては隅田川沿岸には水の利を活かして様々な大工場がある大工場地帯でした。この辺りも歩いていると、町工場の跡だったのだろうと思われる建物や、そのような地域的の文化の名残りなんかも見れる昭和ノスタルジックな地域であります。


 おかず横丁というと、やはり、台東区鳥越にあるおかず横丁が有名なのでしょうが、ここ荒川仲町通り商店街も、おかず横丁を名乗っているようです。また、一方で、いつ頃までかは分かりませんが、かつては、小さなアメ横とも呼ばれていたようです。
 いずれにしても、食料品を売るお店が軒を連ね、お客さんでごった返していたのでしょうし、今でも、八百屋、肉屋、魚屋など、多くの食料品店があり、昭和の商店街の記憶、ノスタルジーをとどめいているのです。ただ、おかず横丁にしろ、アメ横にしろ、オリジナリティがないのは残念でたまらないのですが。


 昭和30年頃創業の好寿司。いかにも下町商店街の寿司屋の面構え。ネタが分厚いく大きめなんだとか。



 立派な外観の喜楽湯。銭湯が、必需品から、娯楽に変わったのはいつ頃なんでしょう?下町の面影として存続してほしいものです。




 仲町通り商店街では、古い看板建築や、商店建築が楽しめます。




 森田靴店。建物、看板、いずれも昭和な面持ち。


 鳥越のおかず横丁も、かつては町工場に囲まれていて、町工場は家族経営が多いので、仕事の後には、食事の支度の手間を省くため惣菜を買う人が多かったそうです。そのため、惣菜を販売するお店が増えたので、おかず横丁となったんだそうです。
 ここ荒川も立地はそのような立地なのでしょうが、おかず横丁の名前の由来はよく分かりません。かつては、そうだったのかもしれません。ただ、食料品店が多くあり、未だに地域に根差した商店街なのは間違いありません。
 そのため、下町散策しながら、ふらっと酒場に入って飲もうと思っても、そのようなお店はありません。この商店街には。


 酒場はありませんが、昭和レトロな喫茶店はあります。と思いきや、クラフトビールや、ワインの文字が。ミクスチャーですね。





 コンビニと同じような値段で、とっても美味しいおにぎりを売っている天喜


 お加女や洋品店、名前がスゴい。町のご婦人方用の用品店でしょう。商店街には必需品です。





河島のコリアンタウン

 三河島は、実は戦前から、朝鮮人の多く住むコリアンタウンとしても有名なのです。都内には、新大久保や、上野のキムチ横丁などありますが、仲町通り商店街から路地を入っていくと、少し朝鮮料理や朝鮮の食料品店などがあります。




 済州島出身の人がこの辺りに多く住んだんだそうです。とは言え、そんなにお店が多くあるわけでもなく、数店舗あるだけでした。昔はもっとあったのかな。


 ヘイトクライムなどというものは無くならず、激しくなったり弱まったりを繰り返していますが、一方で、暮らしの中での朝鮮系の人たちとの垣根という意味では低くなっていっているのではないでしょうか。私が子供の頃なんて、そのような地区は危ないから行ってはいけないと言われていましたが、今は、そんなことないんでないでしょうか。危なくないと思うので、私自身、子供にそんなこと言っていませんし。
 そもそも、古代の日本は、中国、朝鮮から文化を受け入れ、大陸や半島の人は先進的な人であり、その時代の渡来人の末裔の人もたくさんいるわけですから。随分古い話持ち出したな・・・明治以降、立場が逆転して、そんな関係になったんでしょうね。


 そんな古い話はいいとして、三河島に少しコリアンタウンがあります。が、コリアンタウンを目指してきたら、あまりにもしょぼいのでがっかりします。


川のキセキ、家谷酒店と帝国湯

 
 コリアンタウンから、南に歩を進め、高架下をさらに南に進むと、下町独特の町並みに。いや、この辺りは、どこもそうか・・・この通り、商店だったのではないかと思われる建物が並んでいて、かつては、商店が立ち並ぶ商店街だったのかもしれません。 



 路地に入ると、こんな木造長屋が残っています。いやもう、素晴らしいとしか言葉がありません。


 コリアン惣菜店があります。


 そして、これ!帝国湯!このキセキの出で立ち。大正5年(1916)創業。残念ながら暖簾が閉まっていましたが。


 帝国湯の前には、これまたキセキの酒屋、家谷酒店。角打ち(お店の中で飲める酒屋)ですが、中に入ると、スゴい・・・!


 古い建物に、使い古された棚などを見ると、昭和レトロだと感動してしまうのですが、それ以上に、雑然とした店内。これは店主がご高齢のためにどっ散らかしているのでしょうか?このどっ散らかし加減も含めて昭和レトロだなと感じてしまうのですが、そこは、分けて考えないといけないのではないかと。


 朝は7時頃から、夜は24時までやっていると店主が仰ってましたが、真偽のほどは分かりませんので、悪しからず。かつては、朝から晩まで、お客が次から次へと入ってきたそうです。やはり、工場の町ですので、工場の労働者たちがひっきりなしに来たのでしょう。
 しかし、こんな住宅街の真ん中で、労働者が朝から晩まで酒飲んで酔っ払って歩いてたら、子供たちはおっかなかっただろうな。それが下町なのかもしれませんが。下町といっても、今はそんなところありませんよね。


 話好きの店主は、いろいろ話してくれます。向かいの帝国湯は、つい先日、店主が亡くなられて、そのため今後どうするか決まっておらず閉まっているそう。あんなキセキのような銭湯が、後継者が定まっていないなんて驚きなんですが、それが現実なのでしょう。この家谷酒店も、後継者いなそうですし。もったいないな、お店継ぎたいななんて軽口叩いたら、店主から、大変だよーと。そりゃそうですよね・・・軽口叩いてすみせん。
 でも、このキセキのようなお店が、いずれ無くなってしまうのかと思うと、やりきれない気持ちになります。



川仲町通り商店街の地図、アクセス

東京都荒川区荒川3丁目

     


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