2022年9月4日日曜日

南千住六丁目本町会商店会|荒川区の陸の孤島に残る昭和商店街の残像

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 東京の下町の近代の歴史は工場と共にあるわけで、そして下町風情と言われる情緒は、江戸以前の文化と江戸以降の工場街としての文化が絶妙に混じっているんだと思います。ただ、工場は、どんどん下町から移転していって、現在では工場街でもなくなってしまって、下町情緒などと言っているものは、ほぼ過去の情緒なのではないかと思うんです。
 ここ荒川区の南千住6丁目という地域だけに限っても、現在のアクロシティがある場所は昭和58年(1983)までは、段ボール工場があり、また、荒川総合スポーツセンターの場所には昭和35年(1960)まで被服生地工場があったという工場地帯だったのです。
 そんな地域ですから、この辺にも近代の歴史、近代に成立した下町情緒が残っているんではなかろうかと散策していると、いつの間にか古びれた飲食街、商店街のような、というか、商店街の残骸のような地帯に入っていました。


 古ぼけた商店長屋のような、商店だったような建物が少しあるのですが、ほぼシャッターを下ろしていたり、庇がぶち抜けていたり。
 荒川区商店街連合会のサイトで調べてみたら、どうやら、この辺り一帯は、南千住6丁目本町会商店会という商店会組織があり、やはり商店街ということになる。けれども、商店街一帯に残る商店なんてほんの少ししかなく、消滅も時間の問題なのでは。というか、まだ組織が残っているのが不思議で、下町風情の残るレトロ商店街どころではない。


 この辺りは、南千住六丁目本町会商店街の中でも飲食街だったのか、中華屋と蕎麦屋が残っている。せんなりという中華屋なんて、昭和の時代からずっとここら辺りを見てきたんだろうな。ネットでみると年老いたオヤジさんがやっているようで、何とか末長くやっていってほしいものです。


 路地裏には、職人さんのお宅のような家もあります。この時ちょうど、近くにある素盞雄神社のお祭りの時期で、軒先に提灯を提げていたり、神輿が出ていたりしました。商店街は消滅寸前で風情も何もありませんが、この町自体には、下町の風情がしっかり根付いているんだな。



 極め付けは、この甲州屋。十字路の角に要塞のようにそびえるレトロそば屋。看板の字面、きそばの屋根付き看板など、もうきっと昭和から何も変わっていないんだろうと思わせる。ここも現役でやっているようだ。


 レンガタイル外壁のかっちりした建物。住宅にも見えないし、商店にも見えないし、お医者さんかなんかだったのかなと思わせるスタイル。


 角打ちのできるモリタヤ酒店。ここに古くからある酒屋のようです。角打ちスペースは、きれいにリメイクされていますが、元は倉庫を手作りで改装した角打ちスペースだったようです。角打ちスペースがあるなんて、やっぱり労働者が多かったのだろうか。
 南千住六丁目本町会商店会は、千住間道から北上しアクロシティ(千住製紙工場があった場所)に通じる通りや、その脇道などで構成されています。今では、このあたりは、鉄道、地下鉄駅がなく、陸の孤島ともいうべき地域になっているのですが、往時は、路面電車の停車場があり、出勤経路に南千住六丁目本町会商店会があり、人の集まる通りだったのでしょうか。とはいえ、そんなに大工場でもないですし、千住間道には路面電車の停車場はなかったので、工場の労働者も、飲食店や、モリタヤ酒店の角打ちは利用したんでしょうが、住民のための商店街であったのかな。


千住六丁目本町会商店会の地図、アクセス

東京都荒川区南千住6丁目
※正確な地域は不明

     


千住六丁目本町会商店会 情報交換

南千住六丁目本町会商店会について、勝手な感想を書いてしまっています。皆様の訪れた感想、また足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

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