四谷と新宿の堺から、東京、日本、いや世界屈指のゲイタウン新宿二丁目までを東西650mに渡って貫く通り。花園町というのは、花園神社に由来があるのでしょうが、花園神社からはちょっと離れている。なのになんで花園町なのかというと、昭和48年(1973)までここは花園町だったから。
東側から入って行くと、通りにはマンションが立ち並び、商店街というよりは大都会新宿の喧騒から少し離れた閑静なマンション住宅街といった風情。そんな無機質なマンションビルにちょっとおしゃれなカフェやブティックがある小綺麗でお洒落な通りなのです。
が、この商店街は、それほど薄っぺらい商店街ではないのです。中心部に進めば進むほど、この商店街の奥深さ、歴史を味わうことになります。
商店街なんていうものは、古いのが当たり前で、平成や令和に入って成立した商店街なんてあるのだろうか。この花園町親交会も成立したのは昭和28年(1953)。新宿ルーペという新宿の商店街サイトには、商店街成立当時のこのあたりには芋畑や麦畑があり、雨が降れば通りは泥沼となるようなところだったんだそうです。そんなところに、少しずつ商店ができていったんだそうです。
この辺りが芋畑や麦畑で、路面も舗装されてなかったんだ。それがこんな洒落た街になるなんて。
すぐ南には交通量も多い新宿通りの喧騒があるにも関わらず、ひとたび花園通りに入れば、街路樹もきれいに植えられ本当に都会の中でも落ち着く地域なんです。近くには公園も多く、花園公園なんて広々として緑も多く、のんびりできる公園なんです。
花園通りには、柳の木が植えられているところがあるのですが、昔は柳がかなり植えられていて柳通りとも呼ばれていたそうです。
フランス料理店があったりなんかして、とてもブルジョワな香りがするのですが、少しずつ様相が変わってきます。
路地に昭和レトロ香る建物。今はこの建物をリノベーションしてバーをやっています。マンションに囲まれて奇跡的に残っているこの建物が、民家だったのか商店だったのか分かりませんが、このような建物が往時はそこかしこにあったのではないかと、昔を想起できる建物なんです。
そして、花園通りに戻るとレトロとまではいかないものの、昭和の香りのするビルと、その奥には看板建築が!
とても立派な堂々とした看板建築です。開発されまくっているであろう花園通りですが、その昔は、このような看板建築が立ち並んでいたことの生き証人的な建築です。
南の路地に入ると、昭和なアパート建築。1階には商店が入っています。
おでん屋とその隣の古い商店建築。古い商店建築の方は看板が引っくり返されているので閉業しているんでしょう。それにしてもレトロな味のある建物で放置しているなんてもったいない・・・。
路地の路地には、こんな建物が。ここは平成28年(2016)にオープンした文明堂新宿工房。この建物は、過去の商店建築を利用したのだろうか。それともレトロ風にデザインしたのだろうか。
今度は北側の路地に入ってみます。ここにも昭和レトロな看板建築がありました。戦後の一時期は、このような看板建築がな立ち並ぶ活気のある商店街だったのでしょう。
また、花園通りに戻ると、鮮魚店と豆腐店。この花園町に庶民が暮らした時代から残る、生活感ある商店が残っている。しかも、この2店は、鮮魚店のやなぎだの創業が大正7年、豆腐店の江原豆腐店の創業が昭和25年。この通りが商店街として成立する前からやっているんです。大正時代のこの辺りなんてどんなだったんだろう。戦後ですら芋畑や麦畑が点在しているようなところだったのだから、さぞかし田舎な景色が広がっていたんだろうか。
小洒落た通りかと思ったら庶民的な名残を発見して感動していたら、町中華を発見。昭和56年(1981)創業。
店内は、純然たる町中華たるしつらえ。天井の電灯には、中華模様の雷紋が!
壁にはサイン色紙がどっさり!しかしながら、誰が誰だかよく分かりません。
小洒落た商店街かと思いきや、レトロな風情を残している商店街の町中華で、キリンラガーと食べるラーメン、炒飯は格別でした。
花園親交会(花園通り)の地図、アクセス
東京都新宿区新宿1丁目、2丁目
花園町親交会(花園通り) 情報交換
花園町親交会(花園通り)について、勝手な感想を書いてしまっています。皆様の訪れた感想、また足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。
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