2023年5月20日土曜日

三とも通り②|昭和までは花街だった下町住宅街、路地裏に昭和が残ってる

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 三とも通り①の続き。前回紹介した通り、三とも通りは、向島花街の一角をなしていて、今でも料亭が点在する地域なのだ。運が良ければ芸者さんを見かけることもできるところなのだ。
 そして、今回は、三とも通りの北側。ここももちろん、料亭街だったところだと思われる。しかし多分、これより北側にはもう営業している料亭はないようだ。だけど、料亭の痕跡のような建物が残っているので、これより北側も花街だったということなんだろう。
 あとは、下町感がどんどん増していき、路地裏には花街の痕跡なのか、もしくは商店街の痕跡のような地帯もある。
 上の写真も民家の長屋のようなんだけど、玄関の瓦の意匠が民家の意匠にしては無駄な、贅沢なのでは?料亭とか置屋とか何かだったんじゃないかと勝手に想像してみたんだけど、どうなんだろう。


 これは、料亭だったのだろう。Googleマップで見ると、この建物、奥行きが深く、そしてロの字になっていて中庭がある。これは絶対に料亭だったんだろう。


 だけれども、今はこんな状態で、玄関もなんだかな・・・って感じ。
 調べて見ると、どうも今は、生活保護者の人を住まわせているらしい。いわゆる貧困ビジネス?いろいろと複雑な気持ちになってしまうな。ここを過去には芸者さんが行き来して、風情あったんだろうけど。



 路地に入って。民家なのか、でも何か雅を感じるのはなぜだろう。何か普通の民家と造りが違うような気がする。


 にじいろ保育園は、もともと「花の里」という料亭だった。大正12年(1923)創業の老舗で戦災も逃れていたんだけれど、保育園になってしまった。
 今ではこんな路地裏だが、その頃は、芸者さんが歩く華やかな街だったんだろうな。


 それにしてもこの辺りには箱型の建物が多く、今は民家何だろうけど、以前は商店かなんかだったんだろうか。


 見番通りの路地裏でも発見したが、ここにもこんな木造建築が集合する地帯があった。


 これはそもそも民家だったのか。ただ下の写真の玄関の欄間の意匠が何だか民家っぽくない。勝手に置き屋があったんじゃないかと想像してみた。


 何はともあれ、この下町の情景。和むなぁ。こういう下町の路地を歩いていると、子供かチョークで落書きしたり、ケンケンパーしたり、ベーゴマしたりしている情景が目に浮かぶんだけど、そんなところは見たことないな・・・。このような長屋にはもう子持ち世帯が住んでいないということなんだろうか。




 これはまた風格のある看板建築。なんお店だったんだろうか。三とも通り、じわじわとマンションが侵食している通りだけれど、以前は商店が立ち並んでいたのかな。


 このあたりは、榎本武揚が晩年過ごしたところ。その頃は花柳界の華やかな風情あるところだったんだろうな。


 三とも通りの路地裏は、とにかく昭和な佇まいが残っている。これは町の電気屋さんの遺構。「日立カラーテレビ」の看板は、文化財にしてもいいのでは?昭和の時代は、電気製品は町の電気屋さんで買って、据え付けなどしてもらったものだ。


 電気屋さんの脇の細い路地、これは建物の隙間ではなくれっきとした道で、その奥にも木造の住宅がちゃんとある。本当に下町だ。


 業平から錦糸町にかけてスカイツリーがよく見えるからといってタワービュー通りと名付けられた通りがあるけれども、この三とも通りからもスカイツリーがよく見える。下町とスカイツリーのコントラストは墨田区ならではの光景。


 三とも通りの北のはじ辺り、もう本当に住宅街なところにポツンと居酒屋、はや川。入り口の上に貼ってあるステッカー通り、矢沢永吉ラブなお店なんだろう。


 三とも通りのすぐ北には鳩の街通り商店街がある。現在は、下町の寂れた商店街だが、戦後の一時期は、赤線の町、そう今でいう風俗街だったのだ。向島という花柳界のすぐそこに鳩の街という風俗街があったのだ。
 そう考えるとやはり、ここらあたりは、戦後はかなりの賑わいだったんだろうな。

とも通り地図、アクセス

東京都墨田区向島5丁目

とも通り 情報交換

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