2023年8月26日土曜日

押上天祖神社|東京スカイツリー直下の下町神社

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 錦糸町駅から東京スカイツリーの直下、業平までの真っ直ぐな通りタワービュー通り。この辺りはいわゆる下町なんでしょうが、マンションなんかも多くなっていて、無機質な都会が少しずつ触手を伸ばしている感じがする。ただ、ところどころ看板建築があったり、路地裏には木造の建物が残っていたりして、過去の下町の人たちの営みが感じられて、なんとなく人の温もりが残っている感じがする。
 その路地裏、建物の隙間に参道がありました。ここ、地名は業平ですが、押上天祖神社。昭和の初め頃まで、このあたり一帯が押上村、その後押上町だったのでその名が残ってるんですね。

本所絵図
本所絵図(嘉永5年・1852年)

 本所絵図の押上村一帯のところに「徳性寺 神明社」とありますが、これが押上天祖神社らしい。今よりも少し東の方にあったのかな。境内にある由緒によると、昭和3年(1928)の区画整理で今の土地に移されたようだ。上の本所絵図の「金性寺」あたりが今の押上天祖神社の土地ではなかろうかと思われる。
 また、由緒には、江戸時代は「朝日神明宮」と呼ばれていて、徳性寺が別当寺を務めていたということが書かれている。本所絵図に「徳性寺 神明社」と書かれているのは、そういうことなんですね。
 もっと遡って、押上天祖神社の創建はいつなのか。由緒には、はっきりしたことは書かれていなく、延元年間(1336−1340)と書かれている。足利尊氏が京で幕府を開き、後醍醐天皇が吉野に逃れ、吉野に南朝を開いた年。延元というのは、その南朝が使った元号。北朝でいうと、建武、暦応年間ということになる。
 「古く延元年間より祭ってあった」と書かれているのだけれど、その後の文には「この辺は柳島と云われ早い時代に陸地となり人が住んだとも伝えられている。其の後、花園天皇時代に神明社と称した」と書かれている。花園天皇は、南北朝時代に入る前、1308年−1318に在位した天皇。
 由緒の内容と、時代の流れが入り混じっていて、理解しにくいのですが、延元年間より祭ってあったというか、それより少し前からあったということなんですかね。

大鳥居
大鳥居

 神社の背後に東京スカイツリー、東京スカイツリーイーストタワーが見える、神社の和空間とのコントラストが素晴らしい。当初の地にあった社殿は関東大震災で焼失し、その後、現在地にあった社殿は、戦災で焼失してしまっている。
 社殿は、昭和27年(1952)、大鳥居は昭和32年(1957)に再建されたもの。



天祖神社鎮座六百年記念碑
天祖神社鎮座六百年記念碑

 大鳥居脇に「天祖神社鎮座六百年記念碑」がある。昭和三十二年9月15日建立と書かれているので、大鳥居が再建された時に建てられたのだろう。戦後、苦労して復興したことが書かれている。戦災でこれまでの生活が一変し、壮絶な生活を強いられたにも関わらず、社殿や大鳥居の再建までこぎつけたことは、感無量だったのでしょう。

押上天祖神社社殿
押上天祖神社社殿






 境内には、境内社として三峯神社がある。


上天祖神社の場所、地図

東京都墨田区業平2−9−6

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