墨田区押上は、東京スカイツリーができてから、一躍、東京の観光地となったわけだが、スカイツリータウンから離れると、入り組んだ路地に民家がぎっしり詰まった東京の下町だ。高木神社は、東京スカイツリーの至近距離にありながら、入り組んだ路地の中にある、東京下町の神社だ。
ご由緒を写真に収めたが、鏡面のようなご由緒板は、背後を写し出しスペイシーな異次元を作り出してしまい、写真に撮っても何が書いてあるか分からない。
室町時代から戦国時代に突入する契機になった応仁の乱が起こったのは応仁元年(1467)。高木神社は、その翌年に創建されたとされている。動乱の時代に創建された神社だ。創建当初は第六天社といって、第六天魔王を祀っていたらしい。魔王を祀っていた・・・?神社に魔王を祀っていたの・・・?と思ってしまうが、第六天魔王とは、仏教における神で、平たくいうとなんでもできてしまう神なので、神仏習合で人の望みを叶えることができるということで信仰されたんだろう。仏教では人の欲を満たしてしまうので、仏敵とみなされていた。
第六天魔王が何なのかと深く考えても、そのような屁理屈のようないわれから成り立っているようで頭が混乱する。何はともあれ、高木神社は日本の神を祀るのではなくて、仏教の神を祀る神社として創建されたのだ。だが、明治維新の王政復古、神仏分離の考えからは仏教神を祀るわけにはいかなかったため、高皇産霊神(高木神)にご祭神が代えられた。
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)には、心願成就や交渉ごとがまとまるなどのご利益があるが、人と人とのつながりを結びつけてくれるというご利益もある。そして男女の結びを象徴する神ともいわれたりする。
そういうところからなのだろう、高木神社には、いたるところに「おむすび」がある。石灯籠には、おそらく石に手書きで「おむすび」を書いて願を懸けたのだろう「おむすび石」が、びっしりとおいてある。
目が書いてある「おむすび石」もあって可愛らしい。いろんな願いをかけているんだろうな。
高木神社は、絵馬も「おむすび型」なんだ。なんと可愛らしいこと。
境内の手水鉢は、安政4年(1857)のもの。
鉄筋コンクリートの社殿は、昭和42年(1967)に改築されたんだそうだ。
狛犬は、弘化2年(1845)のものが残っている。社殿は新しくなっているのだが、江戸時代からのものも多く残っている。
山玉向嶋講社の石碑。いわゆる富士山信仰の集まり富士講。
江戸切絵図で見る高木神社
江戸切絵図「隅田川向嶋絵図」には、江戸以前の社名、第六天社として書かれている。今は暗渠化されてしまっている曳舟川や古川に面しており、水辺の神社だったようだ。
絵図の下の方に押上村があるが、そのあたりが現在のスカイツリーの場所だろう。
高木神社の場所、地図
東京都墨田区押上2−37−9
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