東京スカイツリーお膝元、押上にあるお稲荷さん。創建年代は不詳のようであるが、飛木稲荷神社のすぐ北にある高木神社の創建と同じく応仁2年(1468)といわれている。境内には大イチョウの古木が茂っているが、この大イチョウの樹齢が500年〜600年といわれており、なんとなく年代が合致するようなのだ。
それにしても応仁2年にあたりに、なぜ相次いで隣り合わせのように神社が創建されたのだろうか。押上一丁目仲町会のサイトに「飛木神社とご神木」という記事がある。この記事によると、このあたりは、鎌倉幕府滅亡のあと、北条一門が逃れてこの地に住み、稲荷大明神を分霊しお祀りしたということだ。高木神社は、創建当時は第六天社といって第六天魔王を祀っていたのだが、その第六天魔王は武家社会に広まっていたというから、もしかしたら飛木神社も高木神社も、その北条一門が創建したのかもしれないな。
大イチョウどうですか、この胴回り。先ほど、樹齢500年〜600年といわれていると書いたが、それも押上一丁目会のサイトに書いてあった。しかし、境内の案内板には、樹齢は1,000年を超えると、また、神社の創建も応仁2年よりも前なのではないかと書かれている。確かにこの胴回りは尋常じゃない。
こんな大イチョウなので、いくつかの伝説がある。
そもそもこのイチョウは、大昔、暴風雨の時、イチョウの枝が、ここに刺さったんだとか。そんな飛んできたイチョウの枝が大きく育ったので、これはただごとではないと稲荷神社をお祀りしたのが始まりなんだとか。
また、東京大空襲の際には、この大イチョウが身代わりとなって焼けたため、町の延焼を防いだんだとか。身を焦がしてまで地域を守った大イチョウだが、数年後にはまた緑が生い茂り、この大イチョウの生きる強さに、当時の人たちは感銘を受けたようだ。
境内のとある場所から大イチョウを見ると、おキツネさんが見える。多分、下の写真の真ん中がそうなのではないかと。
境内社、日枝社。おそらく雨風をしのぐためだろうか屋根がかけられている。
日枝社の祠、彫刻がすごい。いつ作られたものだろうか。
飛木稲荷の社殿の裏には、狐塚がある。なんだか神聖な気持ちになる。
江戸切絵図で見る飛木稲荷神社
江戸切絵図の隅田川向嶋絵図に、今と同じだろう場所に飛切稲荷大明神と書かれている。飛木じゃなくて「とびきり」になっている。誤字なのか、そう言われていたのかどうなのか。不思議なものだ。
現在では、この地は夥しい住宅地だが、江戸時代は飛切稲荷大明神の前に少町家があるのみで田地に囲まれていたんだな。
飛木稲荷神社の場所、地図
東京都墨田区押上2−39−6
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