昭和通りの西側を上野駅から歩いていると、ビルとビルの谷間に、酒場の灯りが密集している地帯があります。長さは、ほんの30m程度の短い路地ですが、これは、私の大好きな路地裏横丁ではありませんか。
興奮を露わに路地に入ってみます。
明かりは街灯も何もない、ビルの谷間に、酒場の看板がボワっと浮かんでいます。
路地、横丁によくある大衆酒場や、もつ焼きといったような酒場はなく、あるのは、スナックばかりです。
ビルの谷間の路地の低層建物の路地は、都内には多数あり、地元の方たち、さらには、観光の方なども、さらには海外の方も来られたり、賑わっていますが、この通りは、とてもひっそりと静まり返っております。人通りもほとんどありません。それに比べて、それぞれの建物にはきちんと看板が出ていて、灯りがともり、寂れているという感じはありません。
お店がスナックばかりですから、一見さんは入りにくいでしょうし、上野の繁華街とは少し離れていますから、常連さんが集まる横丁なのかなと想像しました。
通りを抜けて反対側の路地に出ると、そこからはより細いビルの谷間となっていて、私のように何かないかとキョロキョロ探索している人でないと気づかないくらい、ひっそりと隠れるようにこの横丁はあります。
一通り写真を撮り、この横丁は何なのかと、この横丁に入っているスナックの名前で検索してみると・・・ゲイバーでした。多分、すべてゲイバーのようです。この横丁だけでなく、周辺には数件のゲイバーがあるようです。
ゲイバーというと新宿二丁目ですが、上野の同性愛の歴史は古いようです。おそらく新宿二丁目よりも歴史は古いと思われます。戦前から、上野公園には男娼が多くいたようです。
戦前というか上野は、江戸時代から繁華街でありましたし、明治以降も、東北からの玄関口として栄えました。そのような繁華街には、様々な人が集まりますし、同性愛者ももちろん多く集まったのでしょう。その名残が、この上野七丁目界隈には残っているのです。
また、上野七丁目の北には、過去に下谷万年町という貧民街がありました。その下谷万年町で生まれ育った舞台演出家の唐十郎の小説「下谷万年町物語」というのがあります。戦後の下谷万年町の様子を描いた小説なのですが、過去に貧民街だったこの地にゲイたちが多く住んでいて、そんなゲイと少年の生き様を描いたような小説なのです(同性愛の話ではない)。ネットで調べても下谷万年町が貧民窟だったということはいくらでも出てきますが、ゲイタウンだったということは出てきません。なんでなんだろうな。
「下谷万年町物語」がある程度、実際に基づいている小説であれば、やはり、東上野は古いゲイの街だったんだろうな。
マツコ、はるな愛など、そちら系のタレントの方のテレビ等への露出が増え、そちら系の世間の目は日増しに寛容になってきていると思います。しかしながら、このようなお店が、繁華街から離れたビルの隙間に存在していて、しかもこんなにひっそりと佇んでいる光景は、同性愛がアンダーグラウンドであった歴史を物語っているようです。
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なるほど!そういう方面の横丁だったのですね!「上野」「スナック」のキーワードでググっていると、たまにこの界隈の店が出てきますね。
返信削除そうなんですよ。といいつつ、私もたまたま通りがかったのですが。なんとも言えない凛とした静けさに包まれたビルの隙間でした。東京は奥が深いです。
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