2019年6月30日日曜日

元三島神社|下谷七福神・寿老神。鶯谷のラブホテル街、酒場に囲まれた神社

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 言わずと知れたラブホテル街、鶯谷。言問通りの鶯谷駅近辺は「鶯谷中央商店街」という商店街ですが、酒場が集結している商店街です。その鶯谷中央商店街を歩いていると、「元三島神社」という石柱が建っています。
 周りには神社は見えませんし、その石柱が建っている路地を入っていくと、ラブホ街なのですが。まさか、ラブホ街に神社があるのかと恐る恐る、路地に入って歩いてみると、ラブホテルに囲まれるように神社があるのです。


 路地裏の、しかもラブホ街ですので、小さな祠を想像しましたが、そこそこ立派な神社なのです。




 本殿は、小高い丘の上に建っています。鶯谷駅の西側は、上野寛永寺がある上野のお山で高台になっていますが、東側は平地になっています。ですが、この元三島神社の本殿のある場所は小高くなっています。なぜなのでしょうか。そもそも、山手線の鉄道ができるまでは、上野の山がここまで繋がっていたのでしょうか。ですが、この神社の周囲を歩いてみると、神社の下にライブハウス。


 神社の下に飲食店、酒場。


 どういう構造になっているのでしょうか。もともと小高い場所にある神社の下に、飲食店が入ったのか、飲食店の上に神社を建てたのか、不思議な構造です。
 この元三島神社、歴史は古く、鎌倉時代にまで遡ります。
 鎌倉時代、北アジア、東アジアを支配していたモンゴル帝国の日本侵攻(元寇)。2度目めの来襲の弘安4年(1281)、伊豫水軍を率いた河野対馬守越智通有は、出陣前に伊予国一宮大山祇神社に祈願をしたところ、大きな戦功を収めました。その際に、大山祇命の信託を受け、上野山に分霊を勧請したのが始まりです。
 江戸時代に入り、慶安3年(1650)に上野山が寛永寺の寺地となったため、金杉村(台東区根岸付近)に移転することになりました。さらにその後、宝永6年(1709)に、今度は、社地が幕府用地となったため、浅草小揚町(台東区寿)に移転することになりました。こちらの神社は、現在も「本社三島神社」として浅草にあります。
 当時としては、神社が移転する、氏神様が移転するということは一大事だったのでしょう。三島神社のあった根岸、金杉村の氏子たちが話しあい、金杉村にあった熊野神社に合祀し、元三島神社が創建されました。その後、金杉村金杉町にも勧請され、現在も下谷には三島神社があります。
 安政3年(1856)版の切絵図「根岸谷中日暮里豊島邉図」には、「三嶋大明神」という神社が記載されています。これは、元三島神社なのでしょうか、三島神社なのでしょうか、本社三島神社なのでしょうか?
 本社三島神社は、浅草の南東ですから違いますし、三島神社は、下の切絵図の東側に見える西蔵院と浅草の間です。察するに、この切絵図の三嶋大明神は、元三島神社なのではないでしょうか。


 緑が多く風光明媚な地であった根岸にあった元三島神社。今は、ラブホテル、酒場に囲まれていますが、これもまた一興ではないでしょうか。



 明治4年に再建された社殿は空襲で焼け落ち、昭和22年に再建され、その後、昭和51年にも再度造営されており、現在の社殿は、昭和51年に造営された社殿になります。



 当社は、昭和52年より開始された下谷七福神の寿老神です。

ご祭神
 大山祇命
 伊佐那岐命
 和足彦命
 身島姫命
 上津姫命
 下津姫命

元三島神社の地図、アクセス

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