2023年1月9日月曜日

新宿仲通り商店会|世界最大?ゲイタウン新宿二丁目の中心街

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 新宿二丁目、いわずと知れたゲイタウン。東京最大、いや日本最大、いやいやアジア最大、世界最大ともいわれる新宿二丁目のゲイタウン。新宿二丁目のゲイタウンというか、新宿二丁目がゲイタウンというか、新宿二丁目はほぼゲイタウンなのではないか!?
 その新宿二丁目を南北に貫く通りが仲通りである。ゲイバーがたくさん入る通りのビルには、ゲイバーの看板がびっしり!それにところどころ昭和レトロな雰囲気も残っているのが街の魅力。


 世界最大のゲイタウンとはいえ、昼間の散策は、他の商店街となんら変わりがないですね。夜はもっと煌びやかなのだろうか。私はセクシャルマイノリティに偏見は持っていませんが、新宿二丁目というと、やっぱり男の世界なんだろうという意識が強い。でもいざ、昼間歩いてみると意外と女性の姿も多く見かけ、カフェの前では女子の行列ができていた。
 なんとなく意識の中にあったのですが、新宿二丁目は時代とともに変化し、開かれていっている最中なのかなと。


 現在は、ゲイタウンとして確立している新宿二丁目ですが、実は、そうなる前は、長らく娼婦の街だったのです。娼ですよ、娼ではありません。そうです、女性が春を売る場所・・・
 その始まりは、江戸時代にまで遡るのですが、新宿三丁目の飲み屋街のところでも書きましたが、新宿二丁目、三丁目界隈は、内藤新宿と呼ばれる甲州街道の宿場町でした。宿場町には人が集まる、泊まる、そういうことで、宿場町は繁華街となるのです。内藤新宿の街道沿いでも、男性の相手をする飯盛女をおく旅籠屋が多くあったのです。
 明治に入ってからも、変わらず色街としであり続け、その後、街道沿いに妓楼があるのは公序良俗状よろしくないとなり、街道から少し奥まったところに移されたのです。これが戦後は赤線となり、脈々と女性が春を売る色街であり続けたのです。


 それがどうして、ゲイタウンになったのか定かではないようですが、日本の昔の繁華街には男娼が多くいました。戦国や江戸の頃、男色はそんなに軽蔑されるようなことでもなくある種、男の嗜み的な世界でもありました。そう、西洋の文化が入ってくるまで、意外と日本は性にはおおらかで、男色もそこまでタブー視されていなかったのではないでしょうか。日本橋の人形町には陰間茶屋と呼ばれる男色を目的とした茶屋が多くあったといいますし。


 そんな感覚かどうなのかはわかりませんが、1960年代頃から、新宿二丁目にはゲイ専門のお店が増え始めたようです。その当時は多分、東京でゲイの人たちがは上野を中心に活動していたのではないかと。唐十郎の自伝的小説「下谷万年町物語」には、かつて貧民街と言われた上野の万年に棲んだ男娼たちが描かれています。


 上野も今でもハッテン場といって、出会いの場、コミュニティーがあるようですが、どちらかというと行きずりのような出会いの場のようなのですが、新宿二丁目はそんな行きずりではなく出会える場として認知されていったようで、ステイタスを上げていったようです。


 そうして出来上がったゲイタウン新宿二丁目は、女子禁止のお店も多かったり、やはり偏見も強くあり、本当にゲイだけのコミュニティーだったのですが、ゲイバーのお姉さんの話術の面白さや、マスコミでの露出も増えるなどして、次第に、普通の人、ノンケの客も増え、そして女子の客も増えてきていて、観光で来る人も増えているとのこと。そんなことで、新宿二丁目は、今また新たに変化の時が来ているのかも知れません。


 ビルの狭間にも、バーの看板がびっしり!







 上の写真の左奥に九州男という看板が見えますが、このお店は、あのQUEENのフレディ・マーキュリーが日本公演の際には必ず立ち寄ったと伝わるゲイバー。さすが新宿二丁目、世界屈指のゲイタウンなのです。





 脇道のビルにもびっしりバーの看板が!
 ところどころ、昭和レトロな建物があり、それも楽しめます。




宿仲通り商店会の地図、アクセス

東京都新宿区新宿2丁目

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