南北朝時代、至徳元年(1384)に開創された古刹です。芝増上寺の末寺だそうです。
旧東海道(北品川本通り商店街)から、立派な瓦屋根の本堂が見えます。私は、この散策時には知りませんでしたし、気づきもしなかったのですが、この本堂の側面は、レンガ積みになっているのです。知らなかったので、堂々とした正面の写真は撮りましたが、側面の写真は撮っておりません。ただ、しかし、側面がなかなかどうして味わいのある作りのようで
大正時代に建造されたようです。法禅寺も戦災を免れたおかげで、このような立派な本堂が残っているのであります。
法禅寺 本堂 |
また、法禅寺には、品川区の文化財や史跡が多数あります。そのため、品川区の教育委員会が設置した説明板がいくつかあります。が、その説明が分かりにくいものもあります・・・(^^;
まず、境内にはってい左手には、堂宇が二つあり、奥のレンガ造りのレトロな堂宇の前に説明板が掲げられています。題名は「法禅寺板碑・宝篋印塔・五輪塔 附 遺墳碑・萬霊塔・枯骨之墳」となっております。
読んでみると、「板碑は・・・」と始まり、「これほどの大量の板碑などが一カ所から出土し保管されている例は珍しく、大変貴重なものです。」と書かれています。板碑はどこにあるんだろうとレンガの堂宇の中を覗き込みましたが、堂宇には石仏があり、板碑ではないように思われました。どうやら、板碑に関しては、法禅寺が収蔵しているものの説明のようです。
また、板碑は法禅寺から出土したのかと思いましたが、その後調べてみると、御殿山から出土したようです。幕末、外国船から防衛のために御台場が築かれましたが、その際、御殿山から埋め立てのための土が取られました。その土取工事の際、ここに記載してある板碑や宝篋印塔、五輪塔などが出土したのだそうです。
これら出土したものは、東海寺で一旦供養をすませ、法禅寺に祀られたそうです。
なるほど、板碑、宝篋印塔、五輪塔に関しては、なんとなく分かりましたが、遺墳碑、萬霊塔、枯骨之墳とは、どれなのでしょうか。単純に考えると、このレンガ造りの堂宇が萬霊塔で、その中が枯骨之墳なのでしょうか。そうすると遺墳碑とはどこにあるのでしょうか。
知識のない私にはよく分かりませんが、その先に行くと「萬霊塔」と刻んだ石碑は、本堂の前にありました。
これは分かりやすいです。品川宿には農村などから流浪してくる人が多かったようですね。やはり、放浪者は今もそうですが、繁華街に集まるのですね。そのような流浪者で亡くなった方が、ここに埋葬されたとのことです。
説明によれば、もともと円墳状の塚だったところに、明治に入って碑が建てられたようです。その後、塚がコンクリート製の納骨堂になったため、碑は、コンクリート納骨堂の上に置かれたみたいです。
碑は納骨堂の前で良かったのではないでしょうか?納骨堂の前のお地蔵さん6体の方が気になり、目立ちますが、品川区の史跡に指定されているのは、あくまでもコンクロートの箱の上に並んでいる石碑です。コンクリートの箱の上に碑が並んでるのは、何か滑稽な感じが・・・上にあると見えないし・・・デザイン性が・・・ありがたみが・・・
本堂の前には、「阿弥陀如来坐像、法然上人坐像、紙本着色釈尊誕生変相図、紙本着色地獄変相図」の説明が書かれています。これらは、本堂等に収蔵されているのでしょう。見ることはできませんでした。
地獄変相図なんて見てみたいですが、見れる機会はあるのでしょうか?説明によれば、旅籠屋のご主人が描かれた絵画のようです。人形町ほどではなかもしれませんが、宿場町として栄えた品川宿ですから、庶民の文化も花開いていたのでしょう。
文化と言えば、このような説明板もあります。
法禅寺には、江戸時代の正徳3年(1713)から明治にかけて制作された板木、明治初期に制作された銅板が残っており、板木に関しては69枚も残っているとのことです。板木とは説明板の通り、神仏の御影やお札を木版刷りにするためのものです。多種多様な板木が残されているとのことです。
見てみたいです・・・
境内には、巨大なイチョウがあります。どうやら品川区指定天然記念物のようで、こちらも説明が書いてありますが、巨大なイチョウに隠れて読みづらくなっております。
境内の隅っこに、「杉森稲荷」というお稲荷さんがあります。
ここには、猫が住み着いているようで、猫に餌をやらないで下さいと貼り紙されています。
品川宿を散策して思ったのですが、猫がけっこう歩いています。
お稲荷さんは、建物(観音堂?)の背後にひっそりとあります。
私は、法禅寺には3つの大きな特徴があると勝手に感じました。
一つは、品川区指定の文化財や史跡が多数あります。
二つ目は、慈悲深い歴史がある。御殿山から出土した出土品や遺骨を祀ったり、また亡くなった流民を埋葬し供養したりした歴史があるからです。
三つ目は、庶民文化の歴史が残っている。旅籠屋の旦那が描いた「地獄変相図」が残っていたいり、江戸時代からの板木が残っているからです。
この三つの特徴を多いに宣伝し、もっと分かりやすい説明をつけ、もっと目に触れられるようにしたら、品川宿にもっと人が集まるのではないでしょうか?
そして、慈悲深い歴史をお持ちの法禅寺ですから、猫にも慈悲深くあれば・・・猫の町であった「谷中」に猫がいなくなってきていますから、品川宿が猫の町と名乗りをあげるのも良いのでは?そして猫の集まるお寺「法禅寺」なんて宣伝したら猫好きが集まってこないでしょうか?
荒廃しそうなお寺もありますが、それぞれに特徴があり、歴史のあるお寺が多いです。街道歩きとともに、寺社めぐりもお薦めします。
・豊盛山延命院 一心寺
品川宿の中では珍しく街道に面しており、小さな箱庭的境内です。境内はきちんと手入れされており、街道のレトロな商店街と馴染んだ可愛らしいお寺です。
・音響山伝相院 善福寺
ビルに挟まれたそっけない参道、参道にもじゃ物件、無機質な境内、倒壊しそうな本堂。場末感漂う善福寺ですが、実は、本堂は、伊豆長八という左官の名工が作った鏝絵があるのです。鏝絵の昇り龍下がり龍は迫力があります。
・明鏡山善行院 養願寺
知恵を授けると言われる虚空蔵菩薩が本尊のお寺です。お子様が13から15歳までの間にお参りをすると良いようですよ。年二回の例大祭には、露店がたくさん出るようです。
まず、境内にはってい左手には、堂宇が二つあり、奥のレンガ造りのレトロな堂宇の前に説明板が掲げられています。題名は「法禅寺板碑・宝篋印塔・五輪塔 附 遺墳碑・萬霊塔・枯骨之墳」となっております。
読んでみると、「板碑は・・・」と始まり、「これほどの大量の板碑などが一カ所から出土し保管されている例は珍しく、大変貴重なものです。」と書かれています。板碑はどこにあるんだろうとレンガの堂宇の中を覗き込みましたが、堂宇には石仏があり、板碑ではないように思われました。どうやら、板碑に関しては、法禅寺が収蔵しているものの説明のようです。
また、板碑は法禅寺から出土したのかと思いましたが、その後調べてみると、御殿山から出土したようです。幕末、外国船から防衛のために御台場が築かれましたが、その際、御殿山から埋め立てのための土が取られました。その土取工事の際、ここに記載してある板碑や宝篋印塔、五輪塔などが出土したのだそうです。
これら出土したものは、東海寺で一旦供養をすませ、法禅寺に祀られたそうです。
なるほど、板碑、宝篋印塔、五輪塔に関しては、なんとなく分かりましたが、遺墳碑、萬霊塔、枯骨之墳とは、どれなのでしょうか。単純に考えると、このレンガ造りの堂宇が萬霊塔で、その中が枯骨之墳なのでしょうか。そうすると遺墳碑とはどこにあるのでしょうか。
知識のない私にはよく分かりませんが、その先に行くと「萬霊塔」と刻んだ石碑は、本堂の前にありました。
萬霊塔 |
流民叢塚碑 |
これは分かりやすいです。品川宿には農村などから流浪してくる人が多かったようですね。やはり、放浪者は今もそうですが、繁華街に集まるのですね。そのような流浪者で亡くなった方が、ここに埋葬されたとのことです。
説明によれば、もともと円墳状の塚だったところに、明治に入って碑が建てられたようです。その後、塚がコンクリート製の納骨堂になったため、碑は、コンクリート納骨堂の上に置かれたみたいです。
碑は納骨堂の前で良かったのではないでしょうか?納骨堂の前のお地蔵さん6体の方が気になり、目立ちますが、品川区の史跡に指定されているのは、あくまでもコンクロートの箱の上に並んでいる石碑です。コンクリートの箱の上に碑が並んでるのは、何か滑稽な感じが・・・上にあると見えないし・・・デザイン性が・・・ありがたみが・・・
本堂の前には、「阿弥陀如来坐像、法然上人坐像、紙本着色釈尊誕生変相図、紙本着色地獄変相図」の説明が書かれています。これらは、本堂等に収蔵されているのでしょう。見ることはできませんでした。
地獄変相図なんて見てみたいですが、見れる機会はあるのでしょうか?説明によれば、旅籠屋のご主人が描かれた絵画のようです。人形町ほどではなかもしれませんが、宿場町として栄えた品川宿ですから、庶民の文化も花開いていたのでしょう。
文化と言えば、このような説明板もあります。
法禅寺には、江戸時代の正徳3年(1713)から明治にかけて制作された板木、明治初期に制作された銅板が残っており、板木に関しては69枚も残っているとのことです。板木とは説明板の通り、神仏の御影やお札を木版刷りにするためのものです。多種多様な板木が残されているとのことです。
見てみたいです・・・
境内には、巨大なイチョウがあります。どうやら品川区指定天然記念物のようで、こちらも説明が書いてありますが、巨大なイチョウに隠れて読みづらくなっております。
境内の隅っこに、「杉森稲荷」というお稲荷さんがあります。
ここには、猫が住み着いているようで、猫に餌をやらないで下さいと貼り紙されています。
品川宿を散策して思ったのですが、猫がけっこう歩いています。
お稲荷さんは、建物(観音堂?)の背後にひっそりとあります。
勝手な感想
文化財や史跡がたくさんあり、非常に歴史のあるお寺なんだなと感動しました。私は、法禅寺には3つの大きな特徴があると勝手に感じました。
一つは、品川区指定の文化財や史跡が多数あります。
二つ目は、慈悲深い歴史がある。御殿山から出土した出土品や遺骨を祀ったり、また亡くなった流民を埋葬し供養したりした歴史があるからです。
三つ目は、庶民文化の歴史が残っている。旅籠屋の旦那が描いた「地獄変相図」が残っていたいり、江戸時代からの板木が残っているからです。
この三つの特徴を多いに宣伝し、もっと分かりやすい説明をつけ、もっと目に触れられるようにしたら、品川宿にもっと人が集まるのではないでしょうか?
そして、慈悲深い歴史をお持ちの法禅寺ですから、猫にも慈悲深くあれば・・・猫の町であった「谷中」に猫がいなくなってきていますから、品川宿が猫の町と名乗りをあげるのも良いのでは?そして猫の集まるお寺「法禅寺」なんて宣伝したら猫好きが集まってこないでしょうか?
法禅寺の地図、アクセス
東京都品川区北品川2−2−14
品川宿のその他の寺院
とにかく、街道沿いには寺院が多いです。御殿山から土を取り、海岸は埋め立てられ、今は素っ気もない地域ですが、江戸時代は、御殿山という山あり、海ありの風光明媚な場所でした。そのため大名の下屋敷も多く、そのような関係から寺院が多いと聞いたことがありますが、鎌倉時代や室町時代開山の古いお寺が多いです。荒廃しそうなお寺もありますが、それぞれに特徴があり、歴史のあるお寺が多いです。街道歩きとともに、寺社めぐりもお薦めします。
品川宿の中では珍しく街道に面しており、小さな箱庭的境内です。境内はきちんと手入れされており、街道のレトロな商店街と馴染んだ可愛らしいお寺です。
・音響山伝相院 善福寺
ビルに挟まれたそっけない参道、参道にもじゃ物件、無機質な境内、倒壊しそうな本堂。場末感漂う善福寺ですが、実は、本堂は、伊豆長八という左官の名工が作った鏝絵があるのです。鏝絵の昇り龍下がり龍は迫力があります。
・明鏡山善行院 養願寺
知恵を授けると言われる虚空蔵菩薩が本尊のお寺です。お子様が13から15歳までの間にお参りをすると良いようですよ。年二回の例大祭には、露店がたくさん出るようです。
法禅寺 情報交換
法禅寺について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。私も知らないことが多いので、ぜひお願いします。
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