2020年8月23日日曜日

無縁坂|池之端のレンガが美しい坂道

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 不忍池から東京大学に至る坂道です。坂の途中に講安寺というお寺がありますが、この講安寺と奥にある稱仰院は、無縁山法界寺というお寺であったことから、無縁坂という坂名がついたようです。


 坂の入り口脇にある民家の前に何か意味ありげな石がありますが、何も書いてないので何なのかはわかりません。とても古そうに見えます。公道だと思われるのですが、このような石が残されているのは不思議です。何かあるのでしょうか。気になります。


 左手に続く石垣、レンガ塀の奥は、旧岩崎邸庭園があります。江戸時代は、越後高田藩榊原氏の中屋敷があった場所です。また、この奥の東大は、加賀前田家の上屋敷でありましたし、武家屋敷の多い坂道でしたので、武家に縁がある武縁坂、武辺坂とも呼ばれていたようです。

 江戸切絵図で確認すると、確かに坂は、榊原式部大輔、松平備後守、加賀宰相殿に三方を囲まれています。講安寺の周りは町家だったようです。江戸時代の江戸は、ほとんど、どこを見回しても武家屋敷のような気もしますが。

 坂を登る途中、右手に味のある民家が。昭和レトロな香りがします。

 旧町名案内によれば、昭和40年まで、湯島両門町という町名だったようです。講安寺と稱仰院の二つの門前町だったからのようです。案内には、「数年前まで格子戸のある木造の家があった」と書かれています。この案内板がいつ建てられたのかわかりませんが、古い町家が残っていたということなのでしょうか。今は、その面影はありません。その代わり、上の昭和なコンクリート造りを彷彿とさせる民家があるのみです。
 坂の途中に、坂名の由来と、森鴎外の小説「雁」に、この無縁坂が主人公の散歩道として登場していることが紹介されています。無縁坂は、雁の他に、さだまさしさんが属していたフォークバンド「グレープ」の「無縁坂」という曲にも使われています。母に手を引かれて無縁坂を登った思い出から母の人生を歌った歌です。単に無縁坂という坂名の語呂のうら寂しさからこの歌に使ったのか。さだまさしさんは、長崎ご出身ですから、ここでお母さんに手を引かれて歩いたことは無いでしょう。と、調べてみると、「ナガジン」という長崎の情報サイトには、長崎にある墓地に登る階段ではないかとの情報がありました。いろいろな思い出が混じって作られているのでしょうか。


 坂の中腹に「講安寺」があります。木の門も立派ですし、また、本堂は寺院にしては珍しい土蔵造です。しかも江戸の寛政期に建築された非常に貴重な建築です。江戸は、度々の火災に悩まされていましたが、防火のための建築だったようです。


 坂の上まで、石垣とレンガ塀は続きます。片側が石垣とレンガ塀で薄暗いですし、坂名も無縁坂ですから、やはりうら寂しい雰囲気をかもし出しますね。石垣レンガ塀の向かい側には、幼稚園やマンションがありますが、町名案内にあったように、格子戸の木造家屋があったとしたら、やはりうら寂しい静かな通りだったのかもしれません。その先には、東大がありますから、そちらに出勤、通学する人達が朝晩は通っていますが。
 坂の上を左に曲がって少し歩くと、三菱史料館があります。



無縁坂の地図、アクセス

 東京都台東区池之端1丁目〜文京区湯島4丁目

 

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