2020年11月15日日曜日

蝉坂|閑散駅上中里駅前の、古い歴史ある坂道

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 JR京浜東北線は、上野台地の崖下を崖線に沿って走っています。鶯谷駅とか、日暮里駅とか、線路は崖下にあり、駅は崖上にあるような駅もありますが、上中里駅は、崖下と言いますか、線路からは階段を登って改札がありますが、上野台地からは下ったところにあります。
 それなので、駅改札を出ると、すぐ坂道があります。それも両側を急激な崖に挟まれたダイナミックな坂道です。

江戸名所図会と江戸切絵図で見る蝉坂の歴史


 この坂道は、蝉坂というのですが、坂道に立っている案内板には、蝉坂の名前の由来が次のように記されています。明治時代初期の「東京府志料」では「或云(あるいはいう)攻坂(せめざか)の転訛ナリト」。


 蝉坂の上には、平塚神社があり、そのページでも書きましたが、平塚神社は、もともとこの地域の権力者であった豊島氏の城である平塚城があったとされています。その平塚城に、室町時代に太田道灌が攻め入り、豊島氏は滅ぼされたのですが、そのさい、この坂道を登り、太田道灌が攻めて来たので、攻坂と呼ばれるようになったということです。それが転じて蝉坂になったと。風流な転じ方ですね。
 江戸切絵図には、明確には坂が描かれていないようです。青丸が平塚神社ですので、その脇に道が描かれていもよさそうですが、一面緑に覆われていますので、田畑か森林だったのでしょうか。そのような農村だか森林地帯の地元の人たちが利用する小さな坂道があったのでしょう。

 江戸幕府の編纂した「新編武蔵風土記」には、「平塚明神ノ傍(かたらわ)ニアリ、登リ三・四十間」と記されています。
 この坂を登りきって、日光街道を渡り、更に南に行くと無量寺と言うお寺があります。無量寺には、奈良時代の僧侶・行基が彫ったとされる六体の阿弥陀如来像の一つが安置されていて、この六体の阿弥陀如来像を巡る道を「六阿弥陀道」と言ったそうで、蝉坂は、この六阿弥陀道の一部であります。

蝉坂 散策 

 東京23区内のJR駅の中でもトップクラスの閑散駅の上中里駅。駅前には商店街などというものはございません。が、駅の目の前に「いこい」という立ち飲み屋があります。


 しかも、平日朝の11寺から営業しています。これを見ると、上中里は酒場の町かと思いますが、そんなことはなく、ここだけ特殊地帯になっているようです。


 駅前の蝉坂の登り口に、商店長屋があります。屋根の感じからして少し古そうな感じがします。この23区内で、どローカルな上中里駅で、古くから商店長屋としてあるのでしょうか。
 カフェ、中華、居酒屋が入っており、上中里駅前蝉坂のグルメ街と呼んで差し支えないでしょう。


 蝉坂の上には、平塚神社や城官寺があります。散策時の休憩やお食事にご利用されてはいかがでしょうか。
 居酒屋は、普通の居酒屋ですので夕方からの営業ですが、狐灯というお洒落な店名です。王子に近いことですし、王子稲荷の狐の行列からのネーミングでしょうか。


 この商店長屋の先には、緑がこんもりしています。ここは、西方不動尊。この辺りに滝があったそうで、行場になっていたと説明が書いいてあります。が、鉄道工事や道路拡張でたびたび移転させられ、今の場所になったのは昭和2年と書いてあります。本当に昔からこの場所ということでもないようです。



 坂の中腹には、サンという喫茶店があります。カフェと言うよりは喫茶店ですね。どうやら、夜は酒場になるようです。


 とにかく断崖絶壁度がスリリングな坂道であります。


 蝉坂側の平塚神社の入り口は、崖を階段で登ります。


 坂の上の路地奥には、城官寺があります。創建年代は不明のようですが、歴史あるお寺です。


 平安末期に豊島氏が城館を建てたことから始まる平塚神社や、城官寺、昔は行場であったことを今に伝える西方不動尊など、蝉坂はプチ歴史散策が楽しめます。坂を登り少し歩くと、旧古川邸や、無量寺もあります。そもそも蝉坂の名前が、太田道灌と豊島氏の戦いから来ていると言うのも歴史に思いを馳せることができます。
 カフェや、中華屋さんなどもありますから、ちょっと休憩しながらの散策ができます。

蝉坂の地図、アクセス

東京都北区上中里1丁目
 

蝉坂グルメ

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