もともと、醫王山東漸寺圓照院として慶長16年(1611)に神田北寺町に創建されました。慶安元年(1648)に、現在の谷中に移転されました。元禄11年(1698)に院号が観智院に改められました。
元禄年間に始まったといわれる「江戸御府内二十一所霊場」の六番札所、「江戸御府内八十八所霊場」の六十三番札所でありました。昭和の初めの頃までは、お彼岸の頃、巡礼をする人が多くいたようです。
観智院の地蔵尊たち
境内入り口前には、初音六地蔵。六地蔵とは、輪廻転生の六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)のそれぞれに現れて苦しみから救ってくれるという意味があるそうです。
また、初音六地蔵の左手には、延命地蔵尊、子育て地蔵尊が並んでいます。子育て地蔵尊は、昭和58年の造立のようですが、延命地蔵尊は、観智院の不動堂に住していた行者が、お告げにより、境内から掘り出したのだそうです。見たところ、年代等が刻まれていなくて、いつ作られたものか分かりませんでした。
谷中の火除け不動尊
境内には、不動堂があり、五大明王像が安置されています。谷中の火除け不動として信仰を集めたようです。
不動堂の隣には大師堂があり、弘法大師坐像が安置されています。
東京大空襲により、本堂等は焼失してしまいましたが、この不動堂と大師堂は、焼失を免れ、戦前の姿を残しています。
本堂
本堂は、何やら、かさ増ししたかのような、本堂が浮いているような異様な雰囲気を感じます。
戦前の本堂は、東京大空襲で焼失してしまいました。現在の本堂は、戦後、福島佐竹候の祈願所を移築し、更に、その後、一階部分を増築し、二階建てとしたようです。ですので、このような何だか本堂が浮いているように見えるのです。
江戸切絵図で見る観智院
江戸切絵図には、今と同じ谷中の三崎坂上に描かれています。
観智院の地図、アクセス
東京都台東区谷中5−2−4
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