2021年2月20日土曜日

三崎坂|谷中寺町の坂道

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 谷中のよみせ通りを南下して、へび道に入る手前の交差点。よみせ通りや、へび道は、その昔、藍染川だったのですが、それゆえに、この交差点には、その昔、枇杷橋(合染橋)があったそうです。江戸切絵図を見ると、この枇杷橋を渡って東に歩いていくと三崎町という町屋がありましたが、江戸の頃から、この辺りは、三崎と呼ばれていたことがわかります。


 下の写真は、枇杷橋のあったあたりで、江戸切絵図では、法住寺が書かれている場所ですが、現在は、このように、お寺はなく、昭和レトロな看板建築が残っています。


 看板建築の先には、銭湯。下町情緒あふれますね。ただ、和風な銭湯の前面に、コンクリートの壁を築いた構えになっていて、下町の面影を塞いでいるような面持ちです。


 三崎坂下にある「寿司 乃池」さんは、穴子寿司で、とても有名なお寿司屋さんです。昭和40年(1965)年創業の老舗です。
 三崎坂は、坂の途中にお寺が密集する寺町です。昭和40年代は、お墓参りに来る人々が、食事に来られていたようです。また、噂を聞きつけて、著名人も多く訪れていたようです。




 三崎坂は、坂下から中腹まで看板建築が並び、レトロな景観を残しています。




 正月二日でしたから閉まっていましたが、老舗の履き物店もあり、下町散策を盛りあげますね。


 元治元年(1854)創業の「いせ辰」。千代紙、おもちゃ絵などを手掛けるお店です。神田元岩井町で創業し、現在は、谷中にお店を構えています。江戸から続くお店ですから、千代紙の図柄も多数あります。


 喫茶店「コーヒー乱歩°」。味わいのある建物と外観。名前の通り、江戸川乱歩の本がたくさん置いてあったり、店内は、ジャズが流れていて、ジャズの本もたくさん置いてある喫茶店です。以前は、そんなものが乱雑に置かれてゴチャゴチャした味のある喫茶店だったようですが、今は、片付けられて、今は、きれいな喫茶店に変わっているようです。


 乱歩°の向かいには、さんさき坂カフェ。こちらは、お酒も飲めるカフェ。レトロな三崎坂の中では、珍しいカフェスタイル。


 左の看板建築の戸袋の意匠が、またレトロ感を誘います。


 三崎坂の中腹のとあるマンションの入り口の一角に「正運寺跡地諸精霊菩堤」。


 ここには、大正時代まで、正運寺がありました。その正運寺は、同じ谷中にある長明寺に合併されています。


 江戸切絵図には、正運寺の西側に「三崎町」という町家が書かれています。三崎という町の名前は、田畑、駒込、谷中の三つの高台にちなむといわれています。
 そして、中腹からは、江戸切絵図からも分かるように、お寺が数多くあります。ほとんどが江戸から続く歴史あるお寺です。
 右も左もお寺が多く続きますので、首を振り振り上り下りするから、また、首を擦りながら歩く僧侶がいたからなどから、三崎坂は、首振り坂とも言われていたようです。
 明王院前は、町家と書かれていますが、その場所は、今でも、商店長屋があります。


 昭和5年に建てられた長屋だそうです。オリジナルの招き猫を売っている「谷中堂」や、カフェがあります。



 観智院の西側にも、風情ある商店長屋があります。お菓子屋の「荻野」さん。昭和38年創業の老舗。寺町に、お団子のお店が似合いますね。


 観智院の正面には、昭和初期に建てられた酒屋「伊勢五本店」を利用した「TOYO BIKE」。江戸切絵図には、永久寺の東に「丁」と書かれている町家があった場所だろうと思います。そこにずっとあったのでしょうか。


 江戸切絵図では、「丁」の東には、「古門前丁」が書かれています。その辺りも、現在は、レトロな商店建築が並んでいます。




 三崎坂を上り切ると、江戸切絵図に書かれている「新茶屋町」跡になります。
 新茶屋町は、池波正太郎の鬼平犯科帳に、いろは茶屋という岡場所として登場した場所です。現実にも、江戸時代は、この新茶屋町は、岡場所だったようです。天王寺の門前でしたから、人が多く集まる場所だったのでしょう。


 岡場所とは、今でいう風俗街で、しかも、吉原などの公娼ではなく、公ではない私娼窟だったのです。ですから、吉原のような派手な花魁がいたのではなく、その名の通り、表向きは茶屋であったのです。今は、閑静な住宅街なのですが、ここにそのような茶屋がたくさんあったとは思えないですね。


三崎坂の地図、アクセス

東京都台東区千駄木2〜谷中5

 

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