2021年2月21日日曜日

東叡山寛永寺 寒松院|戦国武将・藤堂高虎が開創したお寺

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 寛永4年(1627)に、上野東照宮の別当寺として創建されたとされています。東照宮の別当ですから、創建当初は、上野東照宮の近くにありました。江戸切絵図を見ても、御宮のすぐそばに書かれています。御宮が位置的に、上野東照宮だと思われます。


 寛永寺含め、この辺りは、関ヶ原の戦いから徳川家に接近し、徳川家の重臣となった津藩主の藤堂高虎の屋敷地でありました。寛永寺にしろ、東照宮にしろ、藤堂高虎の屋敷地が拝領されたのです。
 寒松院という院号は、藤堂高虎の法名の寒松院が由来となっています。


 境内への階段を登途中には、「旧東照宮別当寺」の碑や、「旧津藩主藤堂高虎公開創之寺」の碑があります。


 現在、寒松院は、上野東照宮のそばから離れた場所にあります。やはり明治維新の際の上野戦争で焼失してしまい、明治21年(1888)に、まず、現在の寛永寺の裏手に再建されました。
 そして、太平洋戦争で、米軍の空襲により再び、焼失してしまい、現在の地に再び再建されました。上の江戸切絵図でいうと、方位の赤丸のあたりに、現在はあることになります。


 正保2年、空仁大徳、俗名・田宮坊太郎と刻まれています。田宮坊太郎とは、仇討物の主人公として、芝居などで登場する人物のようですが、実在していたかは不明のようです。そのような人の碑があるとは・・・。正保2年ですから、寒松院が再三移転した際も、この碑も移転されっているのでしょうか。


松院の地図、アクセス

東京都台東区上野公園15−11

     


松院 情報交換


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