寛永4年(1627)に、上野東照宮の別当寺として創建されたとされています。東照宮の別当ですから、創建当初は、上野東照宮の近くにありました。江戸切絵図を見ても、御宮のすぐそばに書かれています。御宮が位置的に、上野東照宮だと思われます。
寒松院という院号は、藤堂高虎の法名の寒松院が由来となっています。
境内への階段を登途中には、「旧東照宮別当寺」の碑や、「旧津藩主藤堂高虎公開創之寺」の碑があります。
現在、寒松院は、上野東照宮のそばから離れた場所にあります。やはり明治維新の際の上野戦争で焼失してしまい、明治21年(1888)に、まず、現在の寛永寺の裏手に再建されました。
そして、太平洋戦争で、米軍の空襲により再び、焼失してしまい、現在の地に再び再建されました。上の江戸切絵図でいうと、方位の赤丸のあたりに、現在はあることになります。
正保2年、空仁大徳、俗名・田宮坊太郎と刻まれています。田宮坊太郎とは、仇討物の主人公として、芝居などで登場する人物のようですが、実在していたかは不明のようです。そのような人の碑があるとは・・・。正保2年ですから、寒松院が再三移転した際も、この碑も移転されっているのでしょうか。
寒松院の地図、アクセス
東京都台東区上野公園15−11
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